博士課程を終えました、カナダに行きます🎓🇨🇦

2024年3月21日の学位記授与式を経て、はれて博士(学術)となりました。満28歳なので、30までに博士号を取るという人生の目標のひとつが達成されたことになります。未達成の人生の目標には、海外移住、大きくて優しい犬を飼うなどが含まれます。

とくに、昨年は手続きまわりであちこち走り回ったこともあり、体験記としてまとめておけば誰かの役に立つかもしれないという思いから、筆ならぬMagic Keyboardを手に取りました。とくに人文系の大学院(の、とくに博士課程)は多くの場面で暗中模索になってしまいがちなので、どうでもいいディテールも含めて誰かの役に立つことを願っています。

自己紹介

2018年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コースに入学、2020年に修士課程を終えて同研究科博士課程に進学、2024年3月で博士課程修了となります。

学部時代は、経済学にまったく興味が持てなかったので、アメリカ・ポピュラー音楽のゼミと中国文学のゼミに参加していました。卒業論文は前者でVaporwaveという音楽ジャンルについて、後者で閻連科という当代中国の小説家について書いています。

大学院でも個別のポピュラー・カルチャーや文学について研究するつもりで駒場表象に来たのですが、上下左右さまざまな影響を被って現在は美学・芸術哲学が専門です。とりわけ、日本では分析美学として紹介されている英語圏の現代美学をやっています。修士論文ではケンダル・ウォルトンというアメリカの美学者による写真論を検討しました。

博士論文の概要

「Categorizing Art」というタイトルで、芸術のカテゴリーと、批評や鑑賞におけるその役割について分析した博士論文を書きました。英語で約80,000ワードの分量になります(日本語版は20万字程度)。

芸術作品はカテゴライズされます。例えば、

これらは私たちが芸術作品に関して日常的に用いているカテゴリー的言明です。これらの言明によって私たちはなにをしているのか、そこにどのような論理があるのか。カテゴライズ実践を明らかにすることが本論文の課題となります。

常識的な考えとして、カテゴライズ[categorizing]は分類[classifying]と同義です。私たちは作品をこっちの棚に置いたり、あっちのタグをつけたりして、どれがどれの仲間なのか分かるようにしています。宇宙が舞台の映画はSFに、人物を描いた絵画は肖像画に、ファンキーな音楽はファンクにという具合です。分類は、持っている特徴に従って作品を右や左に振り分けることに尽きます。しかし、カテゴライズ実践では単なる分類以上のことがなされている。この直観が本研究を動機づけています。

私の提案はごくおおざっぱには、一部のカテゴリーたち(具体的にはジャンルたち)を鑑賞を統制するルールの束とみなしてみてはどうか、というものになります。

マルセル・デュシャン《櫛》1916

そう考えるのは、その背後にルールがあると考えることなしには理解できそうもない、一定の批評的理由づけが見られるからです。デュシャンの《櫛》は視覚的に凡庸で、だからこそ挑発的な作品です。しかし、私たちは視覚的に凡庸なものをなんでもかんでも挑発的とみなすわけではありません。この特定のアイテムの視覚的凡庸さを挑発的とみなすことには、レディメイドというカテゴリーが絡んでいます。このとき、レディメイドというのは《櫛》にとっての活性なジャンルすなわちルールなのだ、というのが本論文の主張となります。

カテゴライズ実践はルールを作り、表明し、提案し、修正し合う、社会的相互作用として理解されます。カテゴライズの実践を含む芸術の鑑賞・批評実践は、したがって、ルールによって支配されています。もちろん、この中心的な主張は挑発的に響くよう意図しています。「ルールなんかに縛られず無垢なる目で作品に向き合うことこそ芸術鑑賞・芸術批評だ」と言いたがる人は今も昔もあっちにもこっちにもいます。本論文はこのような鑑賞観・批評観が、観察として不正確であり、理想としてもたいして魅力的ではないことを示すものです。

公開審査会での発表資料をresearchmapにあげていますので、論文構成などはそちらでご確認ください(日本語も併記しています)。また、論文まるごとPhilpapersに置いてますので、英語が読める方はそちらをどうぞ。以下で触れますが、日本語での書籍化も検討中です。

博士に至るまで

テーマ決め

批評とカテゴリーというテーマで博論を書こうと決めたのは、ようやくD2に上がってからです。D1の間は、修士での写真論研究を拡張するかたちで描写の哲学を勉強していました。しかし、ジョン・カルヴィッキがすごく良い本を書いてしまったので、描写についてはこれを読んでわりと満足してしまったわけです。*1

代わりになにをやろうか迷っていた時期に、とりあえず分析美学のルーツに立ち返ろうと、「分析美学第一世代をちゃんと読む会」という勉強会をはじめました。もともと「 描写の哲学関連の文献を読む会」と題した別の勉強会を主催していたのでそちらのメンバーたちを誘い、一時期は並行して開催し、2022年3月以降はちゃん読一本でやっています。この勉強会を通して、とりわけモンロー・ビアズリーという分析美学の立役者が書いたものを集中的に読むなかで、批評の哲学こそがそのコアであり、多くの興味深い問題がここにつまっていることを発見するに至ります。思えば、修士のころに読んだノエル・キャロル『批評について』やケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」は、私が分析美学に転がり込むきっかけだったわけですし、私自身批評家として仕事をすることもあり、批評という営みにはつねに関心を持っていました。

それで、2021年の応用哲学会では批評の哲学で発表をし、その一部を英語論文にして海外ジャーナルにエイヤッと投稿したところ、なんとまぁうまいことアクセプトをもらい、おまけにジャーナルの年間最優秀論文賞までいただいたので俄然やる気が出たわけです。こちらの論文の執筆体験記は、近刊の『フィルカル』に寄せています。

博士論文は、このジャーナル論文に載せなかった前提部分や理論の帰結について、前後をふくらませるかたちで書き上げました。具体的には、以下を素材として使いました。

  • 第5章「ジャンルとしてのフィクション」👈哲学オンラインセミナー発表「制度は意図に取って代われるのか」(2022年6月4日)
  • 第2章「鑑賞ガイドとしての批評」👈哲学若手研究者フォーラム発表「批評が鑑賞をガイドするとはどういうことか」(2023年7月16日)

そのほか、掲載には至らなかったですが投稿に回していたふたつの原稿が、それぞれ第1章「芸術のカテゴリーにおける美的判断」、第3章「ルールとしてのジャンル」となりました。とくに後者は博論全体で見ても大事なところで、個人的にも気に入っている議論なので、めげずに投げ続けたいと思っています(今年の応用哲学会で紹介します)。

これでお気づきの方もいるかもしれませんが、私の所属していた研究室には、博士論文提出の前提として◯本以上の査読論文を発表していなければならない、といった規定がありません。4年という、人文系としては比較的短い期間で修了できたのは、ひとつにはこの寛容さゆえです。規定があったならば、海外の最大手ジャーナルなんかに挑戦している場合ではなく、紀要なども活用してきびきび成果を発表しなければいけなかったでしょう。学際的な研究室としてはまったく理にかなった寛容さだと思いますし、結果的に博論は博論で進めつつ、論文は論文でチャレンジの機会を多く得られたので、かなり感謝しています。

執筆期間:分量の問題

2023年7月の学会発表を終え、すべての章が出揃った段階で気持ち的にはもう終わったなーという感じだったのですが、待っていたのはreally tough Augustでした。

本提出の締め切りから逆算して、9月なかばまでには予備審査のために仮提出しなければならないのですが、分量の下限をあまりに甘く見積もっていたようで、とにかく、一ヶ月ちょいの間に論文を二倍にふくらませ、英訳した状態で予備審査に出すというクエストが発生しました。*2

こちらが実際の進捗記録で、一日5,000字チャレンジというのを30日間ほぼ毎日続けた結果、どうにかこうにか8月中に20万字ちょいを手元に揃えることに成功しました。もちろんただ書き足していたのではなく、無茶なかさ増しや失敗している議論をいちいちカットしていたので、その分もっと絞り出さなければならないという厳しい戦いでした。執筆当時の日記はこんな感じです。

建築のメタファーは、日に日にもっともらしくなっている。私は、片っ端からほころびを直し、母家から離れた位置に塔を立てまくり、外壁に装飾を施し、設備の冗長性を確保する(いまやほとんどすべての部屋にはトイレがついている。助かる!)。そしてなにより、それがひとつの目的に沿って建てられたひとつの建築物なのだと、自分に言い聞かせている。(2023/08/14)

どうにかなったのは、私のかさ増し力もさることながら、読んだ論文の読書メモをNotionにたんまり保存しておいたおかげです。普段どのように研究を進めているのかという話はまた別の機会にできればと思いますが、とにかく、議論に組み込めそうな論文を探したり、その要点をまとめる上でこれら読書メモにはおおいに助けられました。このデータベースがなかったら、アウトプットしつつ改めて英語文献に当たる必要があっただろうし、そしたらとても間に合わなかったと思います。

執筆期間:スケジュールの問題

ということで、分量の問題はワカチコ(若さ・力・根性)で解決したのですが、もうひとつの問題はスケジュールでした。

執筆要項にあるように、所属研究室では学位授与に至るまでに以下をクリアする必要があります。

  • 計画書審査会:D2以降の11月ごろに実施
  • 中間発表:D3以降の7月ないし1月に実施
  • 予備審査(仮提出):論文提出予定日の2ヶ月前までに提出、1ヶ月前まで実施
  • 本提出:11月なかば
  • 公開審査会:論文提出後、一年以内に実施

前述の通り私はテーマ決めにもたもたしていたので、3年修了の最短ルートとはならず、2022年12月5日(D3)に計画書審査会、2023年7月21日(D4)に中間発表をやりました。

最終的な提出先である研究科の規定として、その年度末に学位授与を希望する場合には11月14日〜24日の間に論文を提出する必要があります。よって、中間発表(2023年7月)時点での私のスケジュール感は以下の通りでした。

  • 9月なかばまでに仮提出、10月なかばまでに予備審査をしてもらう
  • 11月なかばに研究科に本提出
  • 2月ごろまでに公開審査会をしてもらい、3月に学位授与

しかし、気がかりなのは以下の文面です。

5)博士論文審査会(論文提出後、一年以内
博士論文の提出後、執筆者の指導教員はすみやかに審査委員会の構成と審査会の日取りを決め、研究科教育会議に申請する。学外の専門家が審査員となる場合がある。審査会は公開で行なわれる。

「一年以内」とは???

翌年3月に学位をもらうつもりで、研究科の規定通りに11月なかばに提出しても、学位取得の要件である公開審査会をいつやってもらえるのか分からないのです。審査会が翌年度になるなんてザラで、そうしたら元も子もないわけです。

懸念通り、7月の中間発表で「ちょっとタイトすぎるのではないか」という話になりました。タイトもなにも私は書けるし書くしかないので、審査側にもきびきび動いてもらうほかないのです。こればかりは、私のほうでどうにかできる問題ではありませんでした。

この辺はいやはや人文系大学院のよくないところで、3〜4年で課程博士を修了する人があまりいないため、修了に至るまでのプロセスをきびきび進めることに研究室側も慣れていない様子なのです。同じ日に中間発表をされていた先輩方も翌年3月での学位授与を希望されている方はおらず、いずれも翌年度のどこかで提出し、どこかで審査会を行い、翌々年に学位授与といったスケジュール感でした。

ところで、私がなぜ急いでいたかというと、日本学術振興会の学振PDと海外PDに出していたからであり、いずれか採用された場合には翌年4月までに博士号を取っておく必要があったためです。実は、人文系の学振PDで博士号が必須となったのは2018年度からで、それ以前は博士課程を単位取得退学して学振PDをやりつつ博士論文を仕上げるというルートもあったようです。さらに昔、人文系の研究者は博士号を後回しにしてキャリアを進め、就職し、昇進し、いくつも論文や本を書き、研究生活の集大成として論文博士を得るという人生設計がふつうだったようですが、これはもう制度的にほぼ不可能となっています。現在の若手は、就職するにもグラントを取るにも博士号を持っていなきゃ話にならないので、きびきび動いて手早く取っておく必要があるのです。

しかし、博士号を与える側はなかなかこのスピード感についてこれていない様子で、私がそうしたように、学生のほうから事情を説明して先生方を急かす必要があります(学振PDの申請資格が変わったことなど、あまり知られていません)。「論文提出後、一年以内」などと書かれているところを、3ヶ月以内とかにしてもらわないと困るわけです。

結果的には、審査会の先生方にきびきび動いていただいたことで、私が想定していた通りのスケジュールで進行し、2024年1月31日にどうにか公開審査会をねじ込んでもらえました。ボスや副査の先生方にはとても感謝していますが、研究室側にはもうちょっと学生が安心できるような制度設計をしてほしいなぁといったところです。3〜4年で修了したい/しなければならない学生は今後ますます増えていくと思うので。

執筆期間:なにゆえ英語論文になったのか

研究室の執筆要項では、原則として日本語論文を要求されていますが、私は英語で書きました。理由は指導教員が英語ネイティブで、英語での指導のほうがスムーズだったため、私自身としても海外に向けた発信を希望していたためです。分析美学の主戦場は英語圏なので、英語で書くことには自他ともに大きなメリットがあります。

博論のもとになった英語論文もそうですし、すでに海外ジャーナルに回していた投稿論文もいくつかあったので、英語で執筆するノウハウはいくらか備えていました。とはいえ、留学経験もなく、ニッポンの英語教育をみっちり6年受けただけなので、英語がとりわけ得意なほうではありません。先日、教えている学習塾でインターナショナルスクールに通っていた小学生を担当しましたが、ボキャブラリーで完敗しました。

英語論文としてかたちになったのは、ひとつにはDeepLとGrammarlyのおかげ、ひとつにはボスのおかげです。8月にワカチコで膨らませた日本語原稿を急いで英訳し、Googleドキュメントでボスに共有して添削してもらう、というやり方で進めていました。前日にボスが赤を入れた箇所を更新履歴から確認し、手直しするというのを、11月なかばの本提出までひたすら繰り返す。

おそらく、多くのタイポや不自然な表現が含まれたままですが、最終的には開き直るだけの胆力が自分にあったのも幸いでした。完璧主義なあまり英語で書くことを恐れてしまうようでは元も子もなかったでしょう。

なにより、英語で書くことには独特な楽しみがあります。もともと英語論文の和訳にも手を出していましたが、ある言語を別の言語に変換する作業には多くの発見があります。英語にするために日本語をより簡易でクリアな表現に修正したり、英語にしたからこそ議論の流れが明確になったりと、もとの文章について理解・推敲する上で翻訳というのは(遠回りですが)とても役に立ちます。DeepLが返す英文やGrammarlyの修正提案に感心したり、逆に「そりゃないだろ」とツッコんだり、そういう楽しみがなければとても完走できなかったでしょう。

不格好にせよ、英語の博士論文で学位を取ったというのは、今後も自己肯定感の大きな柱になってくれることでしょう。

製本〜提出

提出締め切りは、論文を書き上げる締め切りではなく、書き上げて製本し窓口まで持っていく締め切りです。

私は卒論も修論も生協のとじ太くんを使って自分で仮製本したので、印刷業者に頼むのは今回が始めてでした。審査会用に提出するのは同じく仮製本したものですが、背表紙に論文題目と氏名を載せる必要があり、これにちょっと手こずりました。

というのは、私の場合「Categorizing Art (芸術をカテゴライズする) 銭 清弘」という情報を縦書きで載せなければならないのですが、英字部分をどうすればいいのか執筆要項に書いていないのです。まさか、

C
a
t
e
g
o
r
i
z
i
n
g

でいいはずもなかろう。

ということで、2024年11月20日は自転車をかっ飛ばして駒場へ行き、表記について確認するところから始まりました。聞いたところ、表紙と同じ情報が載ってさえいればよいらしいので、英字部分は横書き、その他は縦書きで行くことにしました。問題は、このややこしいレイアウトを印刷業者がやってくれるかどうかで、次の目的地は三軒茶屋のアクセアでした。聞いたところ、PDFの背表紙データさえあればやってくれるとのことだったので、その場でちゃちゃっと作成して入稿、その日中に仕上げていただきました。

仮製本ならこのように即日GETできますが、上製本指定のところはもっと余裕を持って入稿しておかないと、納期的に間に合わないという最悪の事態もあります。何冊もあるとだいぶ重いので、大学窓口まで運ぶルートも含めて、いつどこで刷るのかスケジューリングしておくと吉です。

ところで、必要部数5冊を刷るのに1万円ほどかかったのですが、これはなぜ私(学生)持ちなのでしょうか。論文PDFは別で提出しているし、審査に必要なら各自プリントアウトすればよいのでは。今度、研究室保存用に1冊上製本しなければならないのですが、これも自ずと私持ちになりそうな空気を感じます。ふつうに嫌なので、文句言いに行きます。

公開審査会

2024年1月31日に、駒場で公開審査会を行いました。審査会は、主査・指導教員のジョン・オデイ先生、内部審査員として星野太先生、朝倉友海先生、外部審査員として森功次さん、キャサリン・エイベルさんにお願いしました。所要時間は3時間足らずといったところです。

副査の選定は、指導教員との相談で決めました。星野先生と朝倉先生は哲学系の教員ということもあり、計画書審査会でも中間発表でもクリティカルなコメントをいただいておりました。内部審査員はお二人がいいと希望したところ、ボスとしても同意見だったみたいです。

外部審査員としては、『批評について』や「芸術のカテゴリー」といった重要な参照文献の訳者であり、国内の分析美学を牽引されており、個人的にも勉強会その他でたいへんお世話になっている森さんをまずは希望しました。もう一人、できれば海外の研究者を含めたいとボスから提案され、そちらについてはわりとお任せしたのですが、なんとオクスフォード大学の超大物美学者キャサリン・エイベルのアポイントが取れました。エイベル教授は、2019年にボスが主催し私が補佐をつとめた国内学会で来日されており、そのつながりで連絡をとってくれたみたいです。

まず冒頭20分かけて私のほうから論文内容を紹介し、その後は各審査員と20分ずつやり取りをするという構成でした。私が想定していたよりもはるかに多くの分量を英語でやり取りすることになり、いやはやエキサイティングな会でした。質問に対し、英語で瞬時に応答するというのはやっぱり難しく、言葉につまる場面も多く、かなり悔いは残りましたが無事に合格をいただきました。留学先でのディスカッションはまさにこういう感じになるでしょうから、その予行練習ができてよかったです。

これからやること

海外特別研究員(2024年9月〜)

申請していた学振PDと海外PDのうち後者から内定をもらえたので、今年9月から二年間、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に行きます。受け入れ研究者は、ドミニク・ロペスというこれまた分析美学の超大物研究者で、向こうでは美的価値について研究する予定です。

受け入れ先のロペス教授には、申請に先立って2023年3月なかばに打診メールを送りました。自分でグラントを取ってやってくるvisiting researcherであれば、あまり断られることはないと聞いていましたが、やはり問題なくすぐに承諾をいただきました。相手によると思いますが、私の場合は簡単なCVに上述の英語論文を添えて送っただけで、とくにミーティングなどはしていません。受け入れ研究者には、「受入意思確認書」なるものを一筆したためてもらう必要があるので、そちらも早めに伝えておくとスムーズですね。

M2から学振DCに出し続け、連戦連敗だったのですが、海外学振でようやく白星ひとつ得たのでおおきく胸をなでおろしています。M2が出せる学振DC1と、D1およびD2が出せる学振DC2にすべて落ちることを界隈では三振と言いますが、私は休学を入れることで三回目の学振DC2にも出しており、それも落ちたので世にも珍しい四振になります*3。学振PDにも落ちたことを含めれば五振です*4

それなりに業績は積んでいるつもりですが、ES的なものを書くのがとにかく苦手で、自分でもなかなか納得のいく申請書を用意できずにいました。最後に出したDC2からは人に見ていただいたこともあり、格段に改善されていく実感がありました。「目指す研究者像」なんかは小っ恥ずかしいですが、人に見てもらうというのはやっぱり大事ですね。本当にありがとうございました。

昨年9月27日に学振PD不採用の知らせを得て意気消沈としていましたが、29日に海外学振採用の知らせを得て生気を取り戻しました。その間、本当にもうやってられないので、アカデミアをリタイアすることまで考えていましたが、おかげさまでもうしばらく研究者としてやっていけそうです。

いまのところ、失効していたパスポートを取り直しただけですが、ビザや住居や銀行口座についてもコツコツ調べ始めています。はじめての海外暮らしなので、正直あまり実感が湧いていません。バンクーバー暮らしにお詳しい方がいましたらぜひともご教示ください。円安に怯えています。

今後の研究テーマ

最近のブログでもぽつぽつ取り上げていますが、美的価値[aesthetic value]まわりの問題に取り組む予定です。美しさ、優美さ、かわいさ、あるいは醜さやけばけばしさといった美的価値は、美的でないその他の価値と並んで私たちの生活に組み込まれており、私たちの選択や行為に一種の複雑さを与えています。とりわけ、(1)美的快楽主義ないし経験主義としてまとめられる伝統的な見解の是非、(2)美的価値の社会的側面、(3)ネガティブな美的価値の特徴づけ、などに関心があります。

前に書いた通り、美学と芸術哲学はややこしい歴史をたどっています。博士に至るまで自分の関心は芸術哲学に寄っていましたが、ポスドクでは芸術に限られない、美的なものについて理解を深めたいと思っています。近代以前の美学やメタ倫理学など、これまでちゃんと触れてこなかった分野のものを楽しく読んでいます。最近は古典ギリシャ語を始めました。

派遣開始まで

本当は2024年4月から行く予定だったのですが、公開審査会を終えてすぐの渡航準備がたいへんそうだったのと、向こうの年度始まりに合わせることにして、9月開始に変更しました。

2024年度の春学期は現在持っている非常勤ひとつを続けつつ、ボスの研究助手としてときおり駒場をうろうろする予定です。あとは、ふつうに塾講師バイトをしたり、家事をやって過ごします。

また、博論の書籍化(日本語)も話が進んでおりまして、そちらに向けてちょろちょろ直したり加筆する期間に使おうと思っています。2025年の春ごろに出版できればと思っているので、ご期待ください。

わりと暇があるはずなので、お仕事等のご依頼お待ちしております。美学のレクチャーとかできますし、映画や音楽の批評とか書けます。

雑感

長らく続けていた院生生活もこれでおしまい。学生料金で映画や美術館に行けなくなるのがなかなか痛い。

そういえば、研究科の博士課程代表として修了式で学位記を受け取ることになりました。今年の持ち回りがたまたまうちの専攻だったようです。アカデミックガウンも無料で貸してくれたので、よい記念になりました。

改めて、両親をはじめ多くの助けがあったからこそここまで来れました。すごく感謝しています。インターネットの皆さんも、玉石混淆のご意見いつもありがとうございます。引き続きご愛顧ください。

*1:やめちゃう直前まで練っていたアイデアは、以下にまとめています。

*2:以下が、所属研究室の博論執筆要項です。

日本語の場合、長さとしては、200,000~240,000字程度(註、参考文献、図版などを除く)を目安とする。日本語以外で論文を執筆する際には、長さに関し、指導教員に指示を仰ぐこと。

私の言い分としては、ここに英語で書く場合の分量目安を明記していないのがわるいのですが、常識的には明記されている日本語の分量に相当する程度は求められるので、私が非常識かつ楽観的だっただけです。

*3:休学を使うという裏技についても述べておきます。DC2は、採用時点で博士課程在籍期間が満3年以上となってしまう人は出せません。つまり、D3の春先に申請して、D4から採用してもらうことはふつうできないのです。博士課程は名目上3年間なので、博士課程向けのグラントを4年目からもらうことはできない。当たり前と言えば当たり前ですよね。

博士三年目の春先にも学振DC2に出したい場合、休学を挟むという手があります。例えば、D2で出したDC2が不採用だった場合、翌年度から一年間休学してしまえば、在籍期間を満2年におさえたまま、翌々年の4月に復学しつつDC2をやるという選択肢がありえます。

私はこの辺の事情にまったく無知だったので、ぼけーっとしているうちに休学することもなくD3を始めてしまいました。この場合には、私がそうしたように、D3の秋学期から休学し、とにかくDC2開始時の在籍期間を3年未満にすることによって、申請資格を満たすことができます。(教えていただいた学務課の方、ありがとうございました。)

とはいえ小細工なので、幻の4打席目も私は空振りに終わりました。同じ裏技を使ってDC2を得た人がいるのかどうかもわかりません。

とにかく、人文系の大学院は休学をうまく使うことがライフラインとなります。極端な場合、D1の春学期からさっそく休学し、在籍期間0年のままDC1に出し続けるという裏技も考えられます。

*4:学振PDの申請に関する注意喚起です。学振PDの申請は、申請時の所属大学ではなく、PDをやる予定の大学経由で行う必要があります。例えば、私は東京大学の博士課程院生で、修了後は一橋大学ポスドクをやりたかったのですが、この場合、一橋大学のほうの学振PD募集を見て、そちらにしたがって申請する必要があります。申請用アカウントなんかもPD先の学務課から発行してもらう必要があります。学振DCに慣れていて、所属大学の掲示ばかり見ているとこのトラップに引っかかるのでたいへん危険です。私の場合、一橋大学の締め切りがだいぶ早かったのをすっかり見逃しており、方方に迷惑をかけつつ奔走することになりました。