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「画像表象とリアリズム」#1:Geert Gooskens "The Digital Challenge - Photographic Realism Revisited"(2011)

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「画像表象とリアリズム」Episode 1です。

指導教官とのゼミで描写(depiction)関連の論文を読むようになったので、そのまとめノートをブログに綴っておこうかと。

主に、デジタル時代の画像文化に関するものが中心です。

 

今日、紹介するのはGeert Gooskensによる"The Digital Challenge - Photographic Realism Revisited"(2011)という論文。(補足で別の論文についても触れます)

ACADEMIAのプロフィールによれば、Avans University of Applied Sciencesで教員をされているそうです。オランダ人?ですかね。専門は描写の哲学。

論文の内容は、ざっくり要約すると「デジタル写真のリアリズムを養護する」もの。

とりわけ、ウィリアム・J. ミッチェル『リコンフィギュアード・アイ』(1992)で提唱している、「デジタル写真はアナログ写真の持つリアリズムを欠いている」というテーゼに対する反論が中心。

 

後にコメントで指摘する通り、ところどころ穴の目立つ論文ですが、デジタル写真周辺の議論を俯瞰できるという意味でひとまずまとめてみました。

 

  • デジタルの挑戦 "The Digital Challenge"
  • 「デジタル写真のリアリズム」を養護する
  • "Can Digital Pictures Qualify as Photographs?"(2012)
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  • イデアメモ

 

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歌声で聞き分けるTWICEメンバー:パート割りの分析を手がかりに

皆さん、TWICEは聞いていますか。

僕は大好きです。



 

ということで、今日は「なにがなんでも、TWICEメンバーを歌声だけで聞き分けたい」という企画です。なにがなんでも聞き分けるぞ。

 

先行研究です。

 

 

声どころか顔も見分けられない???

というのではお話にならないので、上記動画などをご覧の上、なにがなんでも覚えてください。*1

年上順に「ナヨン」「ジョンヨン」「モモ」「サナ」「ジヒョ」「ミナ」「ダヒョン」「チョヨン」「ツウィ」の9人です。

 

 

 

 

覚えましたか?

 

本題に移ります。

 

 

*1:ちなみに、こんな記事を思いついたのは、KPOP鑑賞におけるある種の知覚的ゲシュタルトに関心を抱いたからです。すなわち、顔を見分け、声を聞き分けるのは、長く親しんだファンにとっては余裕で、そうでない人にとっては至難の業、というギャップが面白いなと。ただし、本稿に知覚の哲学に関する議論は、一切出てきません。

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写真、表象、美学

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研究メモ的な雑記です。

 

写真とはなにか。(こういった傲慢な問いを堂々と立てられるので、哲学はいいなぁ。)

写真というメディアの登場が美術史、哲学史に与えたインパクトは大きく、古今東西おおくの論者が写真について書いている。

早い話、修論はちょっとトピックを変えて、「写真」を中心的に扱おうかと構想中*1

以下は、研究計画書の計画書みたいなもの。

 

 

 

分析美学における写真論

分析美学のなかでも、画像表象(pictorial representation)あるいは描写(depiction)の分野で、「写真」が扱われている。

 

著名なところでは、ケンダル・ウォルトンの「Transparent Pictures」など。

先日、指導教員とのゼミで読んだが、大変おもしろかった。

「写真は透明である」と宣言し、鏡や望遠鏡と同じ「視覚の補助」であるという点から論証していく論文。

写真に関する議論は、いわゆる絵画の描写理論をやっていた人たちも巻き込み、ちょっとした論争になった。ロペスとかカリーとか。

 

 

いわゆる絵画の描写理論に関してはロバート・ステッカー『分析美学入門』第9章ほか、松永さんがブログにサーベイ記事を書いていらっしゃる。

 

ウォルトンの写真論については、山形大の清塚邦彦教授の論文がたくさんあるので、そっちも。

 

分析美学界隈での写真論は、おおざっぱにまとめるとこんな感じだろうか。

上に挙げたような議論をコツコツと追いかけて、なんとなく論文が書ければ世話ないが、そうもいかないみたいだ。

「そういえば」とここで思い出すわけだが、僕は分析美学以前に表象文化論の人間であった。そして、僕の論文を査読してくださるのも、分析の人ではなく表象の人たちなのだ。

これはちょっと戦略を考えないとまずい。

 

要は、「写真」を巡る英米哲学↔大陸哲学の溝をどう飛び越えるか、考えている。

 

 

 

古典的な写真論

「大陸哲学」「分析哲学」といった区別自体が疑わしい、という議論は多々あるが、とはいえ、両者が十分な対話を成し遂げているとは思えない。

例えば、ウォルトンは「Transparent Pictures」のエピグラフとして、アンドレ・バザンを引用し、本文中でもバザンについて言及している。ウォルトンによる「透明性テーゼ」は、明らかにバザンの言う「現実の痕跡」としての写真論に由来するのだが、ここにフォーカスしてウォルトン論文を読み取ったものはあまり見かけない。

知らず知らずのうちに、大陸的な言説が捨象されているのではないか、というのが極めて個人的な印象だ。

 

「大陸的」というのでは語弊があるので、「非分析的」な人たちは、写真について何を論じていたのか。

そもそも、写真論は英米圏に先立って、ドイツ、フランスでなされている。ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」(1931)、「複製技術時代の芸術作品」(1936)は言うまでもなく、前述したアンドレ・バザンの「写真映像の存在論」(1945)、ロラン・バルトも『明るい部屋』(1980)で写真について書いている。

アメリカの美術批評に限って言えば、スーザン・ソンタグ『写真論』(1977)、ジョン・バージャー『見るということ』(1980)、ロザリンド・クラウス「視覚的無意識」(1993)、ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』(1997)あたりも、すみやかに読むべき古典的写真論であろう。

この辺の邦訳アンソロジーとしては、その名も『写真の理論』という論文集が昨年出た。

 

 

思うに「非分析的」な言説は、その多くが実践の批評にフォーカスしている。具体的な作品を出発点として哲学的考察につなげるという方法論は、はじめからメタ哲学を試みる分析哲学とは対照的だ*2

 

 

「さて、どうしようか」という話だ。

 

 

 

デジタル以降の写真論

加えて、同時代的な内容も扱いたいと思っている。

「写真」とひとことで言っても、1995年生まれの僕と1892生まれのベンヤミンとでは、もはや別物だ。

小4から現在に至るまで、インターネット上で無駄にしてきた年月の中で、ずいぶん多くのイメージに触れた。「写真」という枠組みでは狭いのであれば、「画像」と言えばよいだろう。

そのようなデジタルな「画像」は、今じゃ十分すぎるほどのアクチュアリティを持っている。少なくとも、僕みたいなデジタルネイティブ世代にとってはそうだ。

僕は多くのイメージ=「画像」を、インターネット経由でしか見たことがないが、「直接見る」という体験はすでに特権的なものではない。

 

インターネット上にあるオブジェクトたちは、もはや端的な現実なのだ、という議論は「ポスト・インターネット」として知られている。

2015年の6月号で、美術手帖が特集を組んでいる。

 

広く、イメージ=「画像」時代の写真を扱った特集としては、こっちも。

 

「ポスト・インターネット」の出発点としては、マリサ・オルソンの論文やインタビュー。(にしてもこの論文の装丁、めちゃくちゃポップで笑える)。

アーティストであるヒト・シュタイエルの「貧しい画像を擁護する」(2009)や、前述の美術手帖に収録されたアーティ・ヴィアカント「ポスト・インターネットにおけるイメージ・オブジェクト」(2010)も重要なテキスト。

国内でポスト・トインターネットに関連する議論としては、水野勝仁さんがMASSAGEに載せている連載など。

 

ポスト・インターネットの議自体は一段落した印象だが、この辺りの話をするならレフ・マノヴィッチも外せない。『ニューメディアの言語』(2001)はもちろん、最近翻訳が出たインスタグラム論なんかはドンピシャ。

 

 

こうなってくるとぼちぼち「風呂敷の広げすぎ」だと指導が入る頃だ。

 

 

 

 

人間以降の写真論

ところで、ちょっと前にオートハーフカメラについての雑記を書いた。

カメラを持ち歩いている人のことを「カメラマン」と言うならば、僕はカメラマンだ。ただし、月に2回ぐらいしかシャッターを切らない、いい加減なカメラマンだが。

すっかり忘れていたが、僕はかつて相当のカメラ/写真アンチであった。 リアルな体験だけにアウラを感じるような、無邪気なロマンチストだったのだ。

目の前の体験をないがしろにしてまで写真を撮る、というのには相変わらず反対だ。

いまでは本物でも偽物でもないイメージ群にすっかり魅了されている。ようやく感性がポスト・モダンに追いついたところだ。

 

とはいえ、RICOHオートハーフに関する後半の考察は、我ながらちょっとおもしろい。多くの機能(露出、焦点、巻き上げ)が自動化されており、「カメラアンチのためのカメラ」だと言っているくだりだ。

リコーオートハーフは、カメラ界のファストフードだ。

本来の目的からして、スナップショットのために作られたカメラ。かっこよく言えばシミュラークル生産機。

「人間―世界」の媒介となるカメラ、ではなく、「カメラ―世界」の媒介となる人間。そのような転倒した図式を、ヤツは連想させる。

 

すぐに思弁的実在論の話を持ってくるのは悪癖なのでしょうがないとして、こういったanthropocentricでない議論をするならグレアム・ハーマンOOOはもってこいだろう。

カメラは風景の美しさに感動するか?

否、我々人間が世界にアクセスできないのと同様、カメラも風景にアクセスできないのだ…………。

SR界隈で、写真論をやっている人とかいないかな?

 

 

 

がんばるぞ📷

いかんせん、こういったメディア研究については初学者なもので、サーベイすらも足りていないのが現状。

分析美学、表象文化論に限らず、こういう論文あるよ、というのがあれば是非教えてください。

 

 

◯分析系の文献で目についたもの

  • N.Goodman(1968) - Languages of art: An approach to a theory of symbols
  • R.Scruton(1981) - Photography and representation
  • K.Walton(1984) - Transparent pictures: On the nature of photographic realism
  • K.Walton(1990) - Mimesis as make-believe: On the foundations of the representational arts
  • K.Walton(1992) - Seeing-in and seeing fictionally
  • K.Walton(2002) - Depiction, perception, and imagination: Responses to Richard Wollheim
  • K.Neander(1987) - Pictorial representation: A matter of resemblance
  • G.Currie(1991) - Photography, painting and perception
  • D.Lopes(1996) - Understanding pictures
  • D.Lopes(2003) - The aesthetics of photographic transparency
  • D.Lopes(2005) - Sight and sensibility: Evaluating pictures
  • R.Wollheim(1998) - On pictorial representation 
  • J.Levinson(1998) - Wollheim on pictorial representation
  • J.Cohen, A.Meskin(2004) - On the epistemic value of photographs
  • S.Walden(2005) - Objectivity in photography
  • S.Walden(2007) - Truth in photography
  • B.Savedoff(2007) - Documentary authority and the art of photography
  • A.Meskin, J.Cohen(2008) - Photographs as evidence
  • B.Blumson(2009) - Defining depiction
  • C.Abell(2009) - Canny resemblance
  • C.Abell(2010) - The epistemic value of photographs
  • S.Walden(2010) - Photography and philosophy: essays on the pencil of nature
  • M.Pettersson(2011) - Depictive traces: On the phenomenology of photography
  • R.Hopkins(2012) - Factive pictorial experience: What's special about photographs?
  • J.Kulvicki(2013) - Images

 

 

 

 

*1:もともとは「批評における作者の意図」で進めていたが、自分はつまるところ反意図主義者以上でも以下でもないので、とやかく切り込んでも収穫がなさそうな気がしてきた。そもそもanthropocentricではない観点から芸術を扱いたいという動機があったので、気づけば写真というメディアに関心が移っていったという次第だ。

*2:このような「分析哲学と実践の乖離」を補おうとしているのが雑誌『フィルカル』さんであり、かなりシンパシーを感じるところである。