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インターネットと美学研究

「イメージを切り貼りするとなにがどうなるのか」|投稿論文あとがき|参照ミーム一覧

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論文が発表されました。最新号の『フィルカル』5(2)に載っています。

「イメージを切り貼りするとなにがどうなるのか:インターネットのミーム文化における画像使用を中心に」と題して、画像表象・描写の哲学を論じた論文です。年始に開催された「描写の哲学研究会」での発表がベースになっています。*1

以下、簡単な論文紹介と、論文中に添付できなかったミーム作品の一覧を載せました*2。実際に作品を見てみないことにはいまいち味気ないと思いますので、合わせてお楽しみください。

 

*1:発表資料はresearchmapからどうぞ。

*2:著作権的にグレーな作品たちをこの場で引用することもグレーなわけですが、インターネットは多かれ少なかれそういったグレーを許容していくしかないというのが私見です。もちろん、然るべき権利者から然るべき仕方で怒られた場合は、然るべき対応をいたします。

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「ビアズリーの美学」|スタンフォード哲学百科事典

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 本記事は、「スタンフォード哲学百科事典 Stanford Encyclopedia of Philosophy」収録「ビアズリーの美学 Beardsley's Aesthetics」の意訳&抄訳である。

モンロー・ビアズリー〈1915-1985〉は20世紀英語圏を代表する美学者のひとりであり、分析美学においてはフランク・シブリー(Frank Sibley)と並ぶ巨人とみなされている。シブリーが美的なもの(the aesthetic)という美学=感性学の根幹に切り込んだのに対し、ビアズリーは「芸術批評を扱うメタ哲学」としての美学を明確に打ち出していた。シブリーが、分析的伝統を汲みつつカント以降のオーセンティックな美学を展開していたのに対し、ビアズリーは言語論的展開を一層シリアスに(ことによると偏狭な仕方で)捉えた美学者であり、良くも悪くも「THE 分析美学」な美学を試みていた。

2005年のJAAC 63(2)号では「美学におけるビアズリーの遺産」としてシンポジウム特集が組まれているが、名だたる寄稿者たちが次のように紹介している。

「もしビアズリーの『美学』が出版されていなければ、美学がなんであるのか私が理解することは決してなかっただろうと思う。出版に先立ち、私はすでに二年間も美学教員をしていたにもかかわらず、である」「ビアズリーの本の出版は、20世紀の分析美学において、最重要な出来事のひとつであった」ジョージ・ディッキー(George Dickie)

ビアズリーの『美学』は、現代の分析芸術哲学にとって、根本的な貢献を果たした」ステファン・デイヴィス(Stephen Davies)

ビアズリーは、その後の20世紀において花開く分析芸術哲学の草分けとなった栄誉に浴している」ニコラス・ウォルターシュトルフ(Nicholas Wolterstorff)

ビアズリーの主著である『美学』は、いまでも英語圏の美学教科書として使われるような大著である。分析美学という分野の紹介としては最優先の一冊だが、残念ながら和訳はまだない(いかんせん、原著600ページ超という大作だ)。*1

また、本文中でも言及されるが、ビアズリーの名がもっともよく知られているのは、文学批評の「ニュー・クリティシズム」を牽引した論文「意図の誤謬」である*2。『美学』には「意図の誤謬」を発展させた議論も含まれており、文学研究・批評理論研究にとっても重要な文献だ。*3

ということで是非訳してほしいand/or訳したいので、本記事にはささやかなプロモーションとしての意図もある。ご検討いただけると幸いです。

 

  • 0.概要
  • 1.背景
  • 2.美学の本性
  • 3.芸術の存在論
  • 4.芸術の定義
  • 5.芸術家の意図
  • 6.内的なものと外的なもの
  • 参考文献

*1:絵画の表象に関わる第6章「視覚芸術における再現」だけは、『分析美学基本論文集』に収録されている。こちらも面白い。

*2:こちらは青の『フィルカル』2(1)号に訳があり、本稿の訳文もそちらからお借りした。

【追記】

当初〈ロラン・バルトの「作者の死」より20年も早く、批評における作者の意図を攻撃する体系的な議論があったことは、分析美学者以外にはあまり知られていないのかもしれない。〉という一文がありましたが、結局知られているのか知られていないのか謎な感じになっていたので削除。「作者の死」ほどではないけどふつうによく知られているよなと思いました。

*3:余談だが、数年前に大学院の講義で読んだ思弁的実在論×批評理論の文献では、結論として「最も思弁的実在論的な批評とは、ニュー・クリティシズムだ」と言われていた。評価の是非はともかく、今日においても再考する価値のある運動だと言えよう。

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現代アートはわびしいか?|ジャン・ボードリヤール「芸術の陰謀」

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芸術終焉論について調べているついでに、ジャン・ボードリヤール「芸術の陰謀」を読み返した。

「芸術の陰謀」は1996年にパリの日刊紙『リベラシオン』に掲載された短い論考であり、後期ボードリヤールの有名な論考のひとつだ。原書の編集者注記によれば、「世界中で数多くの言語に翻訳され」「当時フランスでは、相当激烈な反応を引き起こした」そう。まぁ、ボードリヤールの書き物はだいたい激烈な反応を引き起こしているのだが。*1

最大限ラフにまとめるなら、現代アートって、根っからしょーもないのに、『そうそう、ウチらってしょーもないんすよ😉!w』などと開き直り、無知な観客を混乱させ、一周回ってしょうもなくなさそうに見せてるあたり、マジでしょうもない😤」という具合だ。たいへん面白おかしいのは、ここでdisられている同時代(80〜90年代)の現代アートには、ボードリヤールの諸理論に影響されたネオ・ジオやシミュレーショニズムが該当しており、理論的支柱からいきなり刺される、という体を成している点だ。*2

本稿は、「芸術の陰謀」がなにを根拠に/なにを主張しているのかを整理しつつ、この議論の射程をゆるく考える。

  • 80〜90年代の米国アートシーン
  • 「芸術の陰謀」レジュメ
  • 「芸術の陰謀」にどう反論するか

*1:傍目に見てもそれはひどいだろうという書評と、書評への批判は以下を参照。

*2:これは今回はじめて知ったことだが、アメリカの美術界においてボードリヤールを紹介したのは、1983年に出版された『Simulations』という小冊子らしい。『象徴交換と死』および『シミュラークルとシミュレーション』から、おいしいところをつまんできた160ページぐらいの冊子らしく、ことによると表面的な受容の一因になったのではないかと想像する。

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