レジュメ|Moonyoung Song「美的説明の選択性」(2021)

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Song, Moonyoung (2021). The Selectivity of Aesthetic Explanation. Journal of Aesthetics and Art Criticism 79 (1):5-15.

 

最近のJAACに載っている論文。「美的なもの[the aesthetic]」についての最新研究です。*1

 

【Abstract】広く認められているように、芸術作品が特定の非美的性質を持つことは、特定の美的性質を持つことを説明する。このような説明の興味深い特徴のひとつは、その選択性[selectivity]である。すなわち、美的性質の存在が依存する非美的性質のうち、一部のみが引用されるのだ。そこで、選択される非美的性質と、選択されない性質とを区別するものはなにかという問いが生じる。私は、ローラ・フランクリンホール[Laura Franklin-Hall]による因果的説明の選択原理をモデルとした選択原理を提案することで、この問いに答える。それによると、説明は、デリバリー(説明に引用された要因が被説明項を様相的に堅牢[modally robust]にする度合い)とコスト(説明に含まれる情報量)の比率を最大化するような一連の要因を選択する。 (Song 2021)

1.イントロダクション

フランク・シブリー[Frank Sibley]以降、しばしば議論されているように、ある種の美的性質を持つことは、ある種の非美的性質を持つことによって説明される。例えば、「この作品は〈しかじかの色やテクスチャーを持つ〉おかげで、〈エレガントである〉」。ソンはこれを「美的説明[aesthetic explanation]」と呼ぶ。

美的説明は選択的[selective]である。ある美的性質は、作品におけるさまざまな非美的性質に依存しているが、説明においてこれら非美的性質がすべて言及されることはほとんどない。コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》(1928)が持つ「エレガンス」は、特定のサイズおよび形状の両方に依存しているが、しばしば「しかじかの形状ゆえにエレガントである」と言われる一方、「しかじかのサイズゆえにエレガントである」と言われることはまれである。ハイドンの《交響曲第63番》は、「ドラムの不在ゆえに繊細さを持つ」などと言われるが、「バグパイプの不在ゆえに繊細さを持つ」と言われることはほとんどない。

説明において参照される非美的性質と参照されない非美的性質の違いはなにか。どの非美的性質が、説明においてはより重要なのか。そこに「選択原理[selection principle]」はあるのか。というのが本論文の問いである。

 

2.シブリーの選択原理

最初に検討されているのは、フランク・シブリーの立場である。シブリーが示唆するところによれば、説明において参照されるのはとりわけ敏感[sensitive]な仕方で美的性質に関与するような非美的性質である。作品のサイズをちょっとだけ変えることは「エレガンス」に大きく影響しないかもしれないが、形状をちょっとでも変えるだけで「エレガンス」が一気に失われてしまうケースがある。ゆえに、サイズは説明に現れず、形状が説明に現れる。

シブリーの選択基準は普遍的でないのが問題だ。敏感さは程度問題だが、選択されるかどうかはイチゼロであって、基準としては使いにくい。また、「バグパイプの不在」が「ドラムの不在」よりも敏感でないというのも意味不明なので、ハイドンのケースも説明できない。シブリー説は、作品を取り巻く歴史的文脈を踏まえていない点でしんどいのだ。次に、敏感さだけでなく「異様さ[unusualness]」を基準に加えるのはどうか、という修正案が検討されるが、ソン曰くこの線もしんどい。バーネット・ニューマン《ワンメント6》(1953)は、その大きさや中央の垂直線によって「崇高さ」を持つが、「大きい」ことは異様でも敏感でもない。

 

3.因果的説明の選択性

ソンは、美的説明における選択原理を探すため、因果的説明[causal explanation]に関する選択原理を検討する。因果的説明もまた選択的であり、例えば「タバコのポイ捨てのせいで山火事が起きた」とは言われるが、「酸素があったせいで山火事が起きた」と言われることはない(タバコのポイ捨てと酸素は、どちらも山火事を引き起こした原因であるにもかかわらず)。

ここで、因果的説明には客観的・形而上学的基準など存在せず、その都度の関心によって参照される原因が異なるのだとするプラグマティズムももっともらしく思われてくる。しかし、ソンによれば因果的説明はともかく、美的説明におけるプラグマティズムは魅力的な立場ではない。割愛するが、理由はみっつ挙げられており、最終的にソンは非プラグマティックな選択原理を探す道を選ぶ。

 

【Abstract】ある事象の発生に必要な要因のうち、その説明のなかで選択的に強調され、原因とされるものはなにか、一方で説明において省略される、あるいは背景的な条件の地位に追いやられるものはなにか。J・S・ミル以後、多くの人々がこの問いに対してはプラグマティックな答えしかできないと考えてきた。本論文では、この「因果選択問題」を因果関係を説明する言葉から理解することを提案し、抽象性[abstraction]と安定性[stability]の間の説明上のトレードオフがこの問題に対する原則的な解決を与えることを提案する。その解決策をスケッチした後、いくつかの生物学的な例に適用する。(Franklin-Hall 2015)

ソンは、因果的説明に関するFranklin-Hall (2015)の原理を援用する。フランクリンホールによれば、説明において参照される要因とは、それによって「コスト」に対する「デリバリー」を最大化するような要因たちである。

説明の「コスト[cost]」とは、説明の情報量で決まるパラメーターである。多くの要因に言及するほどコストが高く、少ない要因だけでなされる説明ほどコストが低い。「aによってEが生じた」という説明はコストが低く、「aおよびbおよびcによってEが生じた」という説明はよりコストが高い。

説明の「デリバリー[delivery]」は、説明において言及された要因がどれだけ被説明項(ここでは起こった出来事)の「安定性」を「向上」させたかで決まるパラメーターである。丁寧に見ていこう。

「安定性[stability]」はややこしい概念だが、ここではある出来事が起こっている世界(基本は、現実世界)を中心として、同様の出来事が生じている近接可能世界の数で決まるパラメーターである。もろもろの条件を多少変化させても、依然として発生する出来事ほど「安定性」が高い。

一定の条件が与えられたとき、特定の出来事は「基準安定性[baseline stability]」を持つが、これに別の条件を加えて発生させることで、「構築安定性[construct stability]」が得られる。例えば、ある山火事が発生することに関しては一定の基準安定性があるが、このうちタバコがポイ捨てされていない近接可能世界にタバコのポイ捨てという条件を加えると別の構築安定性が得られる。ここで、「タバコのポイ捨て」という要因が安定性をどれだけ向上させたか(構築安定性から基準安定性を差し引いた値)によって、デリバリーが決まる。

より大きな向上をもたらす要因、すなわちデリバリーの高い要因とは、以下のどちらかを満たすような要因である。

  • 多くの近接可能世界においては含まれていない要因のほうが、大きな向上をもたらす。被説明項となる出来事が起こっている世界を中心に、近接するたいていの世界で伴っているような要因は、そうでない少数の世界に付け加えたところで安定性をほとんど向上させない(向上の母数となる世界が少ないから)。
  • その要因を導入した先の可能世界で、被説明項となる出来事の発生が見込まれるような要因のほうが、大きな向上をもたらす。要因としてあろうがあるまいが、被説明項にはほとんど関係なさそうな要因は、加えたところで安定性をほとんど向上させない。

これらを踏まえると、山火事の説明として「タバコのポイ捨て」を参照することは、最低限のコスト(要因ひとつだけに言及している)で最大限のデリバリー(落としてないよりは落としたほうが山火事になりがち)を得られるような説明となる。一方、「酸素」もコストは低いがデリバリーも低い(たいていの近接世界には酸素があるため*2)。ただし、普段は酸素除去システムが働いている工場で火災が発生したならば、「酸素」はデリバリーの高い要因として参照されるだろう。

まとめると、フランクホールにおいて、良い因果的説明とは経済的なものである。ふつうはコストを上げればデリバリーも上がるが、いかに最小限のコストで最大限のデリバリーをもたらす説明ができるかが、説明において目標となる。

 

4.美的説明のための選択原理

ということで、ソンは美的説明にもフランクホールの「コスト-デリバリー比率を最大化する」という原理を持ち込んでみる。ただし、いくつか修正を加える。

  • コストとなる性質は、世界側の性質ではなく、作品に関する性質とする。例えば、《ゲルニカ》に関して、「爆撃を描写している」ことはコストとなるが、「爆撃に応じて作られた」という(世界側の)性質まで美的説明のコストとして換算するのでは厳しすぎる。
  • 因果的説明の安定性やデリバリーは、物理的に類似した近接可能世界によって換算していたが、美的説明においては(ジャンルや様式において)芸術的に類似した近接芸術作品によって換算することにする。

《空間の鳥》の「エレガンス」に関してその形状に言及することは、コスト-デリバリー比率が高い。「ちょうど《空間の鳥》の形状を持つ」彫刻はまれであり、しかじかの形状を持たない作品に《空間の鳥》と同じ形状を持たせてあげれば「エレガント」になることが見込まれるから。一方、しかじかのサイズは言及されない。ちょうど《空間の鳥》のようなサイズをもたせたとしても、それだけで「エレガント」になる作品はあまり多くなさそうだから。

《ワンメント6》においてもサイズは珍しいものではないため、その点ではデリバリーが低い。一方、芸術的に《ワンメント6》と類似した作品たちに《ワンメント6》のでかさを与えてやれば、「崇高である」という性質を持つ見込みはそれなりに高い。というのも、「大きい」ことは「エレガンス」を持つことには貢献しないが、「崇高さ」には貢献するから。

 

✂ コメント

以上がソン論文のまとめ。このあとに想定反論への応答をしているが、割愛。

主張されている選択原理は直観的に分かるが、安定性の向上やデリバリーの高さに関するところは、なんだか煙に巻かれている気がしないでもない。妙に小難しくなっているが、ようはある美的性質にとって、それを傾向的にもたらしがちな非美的性質ほど参照に値する、という話なのではないか(それでいいのかもしれないが)。

よく分からなかったのは、例えばニューマンの《ワンメント6》に関して、「大きいおかげで崇高である」という説明と「大きく、かつ中央の垂直線を持つおかげで崇高である」という説明とでは、結局どちらがコスト-デリバリー比率が高いのかという点。後者は前者よりもコストが高いが、それに見合うだけのデリバリーがあるのか。この辺はどうやって測るのか。なんとなく、後者のほうが良い説明であるという直観はあり、ソンも後者においてコストに見合うだけのデリバリーが伴うとしているが、このようなコストをどこまで払い続けることができるのか。ソン=フランクホールが「芯[sweet spot]」と呼ぶコスト-デリバリー比率の最大化ポイントが、どのような仕方で存在するのかがまだ直観的にすとんと落ちていない。

おそらく本論文の主眼は、美的説明に関するプラグマティズムへの反論にあって、その点ではうまくいっていると思う。ソンは、規範的に良い説明と悪い説明の間には客観的な基準がある、という立場をしかじかの選択原理によって擁護しており、それは直観的にはもっともな原理だと思われる。プラグマティズムからどういった応答が可能なのかも気になる。

 

【追記】2021/03/26

森さんから補足いただきました。

ニューマンのケースで気になっていたのは、「コストに見合うだけのデリバリーがある」ということをどう判断するのか、という点でした。「大きいので崇高だ」という説明の{コスト, デリバリー}を{1, 2}だとして、「大きいかつ垂直線があるので崇高だ」は{2, 5}なので、後者のほうがコスト-デリバリー比率が高い(より良い美的説明だ)、というのがソンの原理だと思いますが、一概にそんなこと言えるの?という疑問です。「大きいかつ垂直線があるので崇高だ」の{コスト, デリバリー}がもとの比率とかわらない{2, 4}になるかもしれないし、なんなら{2, 3}になって比率が落ちることもありうるのではないか。{2, 5}にはなるが{2, 3}にはならない理由があるとして、それがなんなのかというのが分かっていない点です。(その辺の判断は個別批評の課題だ、というだけの話かもしれませんが)

要は傾向性なのでは、というのはたしかに雑なまとめだった気がします。こちらも、デリバリーや安定性の向上についていまいち腑に落ちていないのと関連していて、だいたい次のようなことを考えていました。「その条件(「でかい」)を加えることによって、その条件が満たされていない類似作品(でかくない抽象表現絵画)にも、問題となっている美的性質(「崇高である」)をもたらす見込みが高い」というのが美的デリバリーの定義だと理解しましたが、このことを批評家が理解しているときに理解していることって、要は「でかさはしばしば(傾向的に)崇高さをもたらす」ということなのではないか。すると、言い換えているだけなのではないか、というのが煙に巻かれているような印象を受けた点です。一方で、後者の直観に形而上学的な裏付けを与えた、ということであれば意義は分かりますが、そうなってくるとひとつ目の疑問点がより気がかりです。

あと、なるべくケチをつける方針で読みがちですが、全体的にはやっぱり面白い論文だと思いました。

 

WAKARIMI DEEP。

*1:著者Moonyoung Songミシガン大学アナーバー校でポスドクをされている方。フィクションにおける情動芸術的価値と道徳的価値の相互作用についての論文も書いています。受け入れ先はウォルトンの研究室だったりするのだろうか。

*2:可能世界の「近い」や「遠い」に関しては、物理的類似に訴えている。すなわち、なんらかの自然法則を破っている世界ほど、遠くにある。ルイスの話なのでよくわからない。