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インターネットと美学研究

エマニュエル・フィーバーン「画像で嘘をつく」(2019)

Viebahn, Emanuel (2019). Lying with Pictures. British Journal of Aesthetics 59 (3):243-257.

 

発話やテクストだけでなく、画像を使って嘘をつけるのだとしたら、「嘘(lying)」の定義を考え直すべきだよ、という論文です。

 

レジュメ

【ケース①マーサがノラに、「オスカーとポーラがキスをしている合成写真」を送信するケース。ノラは〈オスカーとポーラがキスをした〉と思ってしまう。】

マーサの行為は、嘘をつく(lying)ことにカウントされるのか?

【ケース②「オスカーとポーラがキスをした」というテキストを送信する】のは、明らかにlyingである。しかし、テキストを送る場合も、画像を送る場合も、マーサは騙す意図があり、ノラは等しく騙され、「マーサはノラに嘘をついた(lied)」と報告される。

ただし、「lied-that p」文だと、口頭で発話したという含意があるので、「lied-about p」文で考えるべき。マーサはノラに、〈オスカーとポーラがキスをしたこと〉について嘘をつく。

 

「嘘をつく(lying)」と「誤解を招く(misleading)」の違いはなにか?

【ケース③付き合っていないが、ルームシェアをはじめたオスカーとポーラに関して、マーサがノラに「オスカーとポーラは同棲をはじめた」と伝えるケース。ノラは〈オスカーとポーラは付き合っている〉と思ってしまう。】

このようなケースは、lyingじゃなくてmisleadingだと思われる。

誤解させることを意図していたとしても、マーサは自らが真であると信じていることについて伝達している。これは、マーサ自らが偽であると信じていること(〈オスカーとポーラがキスをしたこと〉)を伝えるのと対照的。

また、こちらのケースにおいて、マーサには否定可能性(deniability)がある。騙されたノラから問い詰められた場合、「〈オスカーとポーラは付き合っている〉とは言っていない」「〈オスカーとポーラは同棲をはじめた〉は事実」だと言い逃れられる。

すなわち、lyingとmisleadingの違いは、否定可能性の有無によって切り分けられる。

 

ここで、【ケース①】のケースには否定可能性がない。ゆえに、嘘をついていると考えられる。

また、同じく画像を用いたケースでも、以下はmisleadingだがlyingじゃなさそう。

【ケース④「オスカーとポーラが、同棲している場面の写真」を送る。ノラは〈オスカーとポーラは付き合っている〉と思ってしまう。】

 

実際、画像を用いた嘘はあちこちにある。(ソ連の捏造写真、「いまどこに居る?」と聞かれて前日に取った写真を送る、ステージド・フォト)

写真だけでなく、手製のスケッチでも嘘がつける。(実際に起きた出来事の描写だが、背景の看板に偽りの地名が載ってるスケッチ)。絵画でも嘘がつけそうだが、写真やスケッチほどはうまく使えなさそう。

 

ここで、画像嘘(pictorial lie)を嘘の一種として認めるならば、言語嘘(linguistic lie)との違いが問題になる。

(1)画像は「嘘の内容p」を特定しがたい。(2)画像は様々なメカニズムを通して嘘をつける。(3)画像は複数の命題を伝達するので、一部嘘を付きながら、一部真実を伝えるケースがある。

➡画像嘘を嘘とみなすなら、「嘘」の定義を考え直す必要がある。

 

伝統的な「嘘」の定義

ABに嘘をつくのはiff

ある命題pについて

(L1)ABにpだと主張する

(L2)Apが偽だと信じている

 

ここで、主張する(assert)の内実が問題となる。主張することは、しばしば言う(say)こととみなされてきた。(sayベースの定義)

すなわち、AがBに嘘をつくのは「ある命題pについて、Aはpが偽だと信じていながら、Bに対してpだと言う(say that p to B)」とき。

しかし、この定義だと、画像を提示しているだけで発話していない①は、嘘ついていないということになる。

➡lyingの定義を拡張する必要がある。

 

まず、sayベースの定義を維持したまま、画像の描写内容を厳密に特定することで、画像も実質的に「pと言う」のだと理解するアプローチが考えられる。

しかし、これは上手く行かない。(1)画像は命題を持たない説がある(否定形とか無理)、(2)厳密な描写内容が全然特定できん。

この線で使えそうなのは、Abell 2005による「画像の含み」理論。(以下にレジュメを公開しています)

エイベルは画像の持つ「視覚内容(visble content)」と、「描写内容(depictive content)」を区別する。前者は画像との類似に基づく対象で、後者は観者が実際に帰属させる対象。視覚内容は必ずしも描写内容とは限らない。

エイベルはこの区別を、発話における「語の意味(sentence meaning)」vs「発話の意味(utterance meaning)」と対応させている。前者は字面通りの意味で、後者はコミュニケーションにおいて実際に帰属される意味。両者は「会話の含み」によって結びつく。

同様に、画像にも「画像の含み」がある。(視覚内容:〈棒人間〉+画像の含み=描写内容:〈普通の体型の人間〉)*1

 

しかし、目下の議論においてエイベルの理論は使えない。

「視覚内容」が狭すぎる:【ケース①】に関して「合成写真は〈オスカーとポーラがキスをした〉と言っている」とはみなしがたい。

「描写内容」が広すぎる:【ケース④】に関して「写真は〈オスカーとポーラは付き合っている〉と言っている」とみなしてしまう。

 

その他、Blumson 2014の理論も検討している(割愛)が、やはり、筆者的にはsayベースの定義を維持するのは難しいらしい。

➡ゆえに、sayベースではなく、commitmentベースでlyingを定義してみる。

 

commitmentベースの「嘘」の定義

ABに嘘をつくのはiff

(L1)ABに向けて、内容pを持つ伝達行為Cをする

(L2)伝達行為Cによって、Apに自らをコミットする

(L3)Apが偽であると信じている

 

主張する(assert)をコミットする(commit)として理解すれば、画像嘘も嘘の一種として回収できる。コミットされるpは、必ずしも画像の描写内容でなくてもいい。

「コミット」とは:pの真偽が追及されたときに、擁護する責任を負うということ(cf. Brandom 1983)

Aがpにコミットしているかどうかは、ある程度直観的に分かる。(主張しているのか、推測を述べているのか。主張であればコミットし、推測を述べるだけならコミットしない。)

この定義に基づけば、【ケース①】は、〈オスカーとポーラがキスをした〉にコミットするためlyingであり、【ケース④】は、〈オスカーとポーラは付き合っている〉にコミットしないのでmisleading止まりである。

その他、コミットメントはいろんな仕方でなされる。(この辺の紹介は断片的なので割愛)。

再度、画像によるコミット内容は、描写内容とは限らない。結局、画像がいかなるコミット内容を持つかについては、ひとまずオープンとする。

結論:commitmentベースでlyingを定義するのがよいよ。*2

 

✂ コメント

  • lyingとmisleadingの切り分け(否定可能性の有無)については腑に落ちつつ、画像を用いたlyingが可能であるという議論がピンときていない。合成写真を送りつけるというケースは否定可能性がないのでlyingだとあるが、「合成じゃないとは言ってない」と言い逃れられるのでは?
  • 【ケース①】は〈オスカーとポーラがキスをした〉についてのlyingで、【ケース④】は〈オスカーとポーラは付き合っている〉についてmisleadingだがlyingじゃない。 というのが直観的な前提らしいが、「前者もmisleading止まり」という話はできそうな気がする。
  • ブランダムの「コミット」定義でいくと、【ケース①】が〈オスカーとポーラは付き合っている〉について擁護責任があるようだが、ここもいまいちピンときていない。
  • 「画像がなににコミットするのか」がオープンなので、ここは掘りたい。
  • あと、「画像メディア間で、lyingしやすいものとしづらいものがありそうだよね」というトピックは、修論でちょっと触れようと思う(来週提出)。

*1:棒人間、ぱっと見は〈ガリガリで頭がでかい奇形の人間〉だけど、空気を呼んだら〈普通の体型の人間〉だとみなすべきでしょ、という話。

*2:sayベースからcommitベースにする動機には、画像嘘だけでなく、メタファーなどの字義通りでない(non-literal)発話による嘘を説明したいというのも含まれる。