『フィルカル』vol.5 no.2「特集:描写の哲学」収録の論文、難波優輝「キャラクタの画像のわるさはなぜ語りがたいか:画像のふたつの意味と行為の解釈」のレジュメとコメント(青字)です。
- 1.問題を共有する
- 2.1.ふたつの意味と行為
- 2.2.解釈の手がかり
- 3.キャラクタの画像のわるさはなぜ語りがたいか
Steenhagen, Maarten (2020). Sense and Reference of Pictures. British Journal of Aesthetics:1-5.
つい先日BJAがオープンアクセスで公開した「描写の哲学」論文。
著者はスウェーデン、ウプサラ大学所属の哲学研究者みたいです。メガネがおしゃれ。短い論考ですが、大筋としては描写に関してフレーゲの「意味(reference)」「意義(sense)」を援用するJohn Hymanを攻撃する模様。
毎度ながらフレーゲの区別は定訳だと意味不明なので、以下では単に「reference」「sense」と表記します。
論文が発表されました。最新号の『フィルカル』5(2)に載っています。
「イメージを切り貼りするとなにがどうなるのか:インターネットのミーム文化における画像使用を中心に」と題して、画像表象・描写の哲学を論じた論文です。年始に開催された「描写の哲学研究会」での発表がベースになっています。*1
以下、簡単な論文紹介と、論文中に添付できなかったミーム作品の一覧を載せました*2。実際に作品を見てみないことにはいまいち味気ないと思いますので、合わせてお楽しみください。
*1:発表資料はresearchmapからどうぞ。
*2:著作権的にグレーな作品たちをこの場で引用することもグレーなわけですが、インターネットは多かれ少なかれそういったグレーを許容していくしかないというのが私見です。もちろん、然るべき権利者から然るべき仕方で怒られた場合は、然るべき対応をいたします。