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インターネットと美学研究

レッド・ベルベットのホラー:怪物、人形、あるいは呪術と攪乱

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0.イントロ

「Red Velvet(レッド・ベルベット)」は、SMエンターテインメントより2014年にデビューしたガールズグループである。2019年現在のK-POPシーンにおいては、TWICEBLACKPINKと並び、すでに確たる地位を獲得したトップ・グループであると言えよう。

本稿は、以下3つの枠組みを用いて、「ホラー(horror)」の観点からRed Velvetを読み解く。

一つは、分析美学(Analytic Aesthetics)のホラー論であり、主にホラー映画を対象として議論されてきた分野である。主な論者としてはノエル・キャロル(Noel Carroll)ケンダル・ウォルトン(Kendall Waltonベリス・ゴート(Berys Gaut)アーロン・スマッツ(Aaron Smuts)らが挙げられ、トピックとしては「定義:ホラーとは何か」、「情動:喚起されるのは真正の恐怖か」、「快のパラドクス:なぜ恐怖を楽しめるのか」といった問題が扱われている*1。これらの先行研究をRed Velvetというテキストに接続する目論見としては、第一に「ホラー映画論」からより一般的な「ホラー論」への拡張が意図されており、第二に分析美学一般の批評的応用が意図されている。もちろん、いちアイドルグループであるRed Velvetの鑑賞を、より多角的にすることも意図されている。

第二に、こちらも分析美学寄りになるのだが、いわゆる「ペルソナ(persona)」および「キャラクター(character)」研究の視座を借りてみたい。アニメ論、マンガ論、バーチャルYouTuber論において近年盛んに研究されている当分野は、同様にアイドル論としても展開されている。実在するパーソンとしてのメンバーと、(いわば)演じられるペルソナ/キャラクターを分けて理解することで、Red Velvetのフィクショナルな側面をより精緻に観察してみたい。

第三に、ポストモダニズム的な批評の枠組みを、いくつかの論述において援用する。無論、このような枠組みを“使う”ことの是非については、ただちに苦言が寄せられるだろう。80年代はすでにはるか過去であり、あの出口のない思弁をいまさら再生産するつもりか、と。この種の指摘が的を射ているのは確かだが、一方で、まさにこの種の思弁が皮肉にも有効性(のようなもの)を取り戻しつつあるのが、今日的な思想のモードではないかと考える。本稿の試みとは独立した論点であるためこれ以上のコメントは控えるが、本稿において以上のような問題意識はひそかに影を落としている。

 

いくつかの主要な問いは、以下の通りである。

「なにゆえ、Red Velvetはホラーであると言えるのか」「Red Velvetがホラーであるとは、厳密にはどういうことなのか」

「いかにして、Red Velvetはホラーたりうるのか」「Red Velvetはいかにしてホラーを表象するのか」

 

第1章では議論の対象と基本的な用語を整理する。第2章では、「ホラー」の内実を探りつつ、ここにRed Velvetを位置づけたい。第3章ではより個別な批評へと移り、Red Velvetによるホラーの表象を分析していく。

1.テクストとしてのRed Velvet

1.1.K-POPファンはなにを消費しているのか

まずは、批評の対象を定めなければならない。

第一に、Red Velvetを含むK-POPは、きわめてマルチメディアなコンテンツである。それはしばしば単純化されがちな「音楽」というコンテンツにとどまらない。いちK-POPファンとして、その多角的な楽しみ方を羅列してみよう。

  • 音楽として:トラック、歌詞、ジャンル
  • 視覚芸術として:ミュージックビデオ、ファッション、コンセプト
  • パフォーマンスとして:ダンス、ライブ(ショーケース)、音楽番組
  • アイドルとしてライブ配信、MV制作風景、バラエティ番組、ファンミーティング

恐ろしいのは、これらの大部分が公式YouTube上で楽しめるという点だ。ファンは、新曲MVがリリースされるたびに、MVのみならず、「SBS Inkigayo(人気歌謡)」「Music Bank」「Show! Music Core(音楽中心)」「M COUNTDOWN」「THE SHOW」「SHOW CHAMPION」といった主要な音楽番組でのステージ・パフォーマンスをチェックし、前後でリリースされるティザーMV制作風景ダンスの練習動画をチェックし、「週刊アイドル」「アイドルルーム」といったバラエティ番組への出演をチェックし、ショーケースファンミーティングが催されるとなれば足を運ぶ。いちグループでこれなのだから、複数グループをフォローすることがいかにハードワークなのかはK-POPファンでなくとも心中察するだろう。

上に挙げたものは、いずれも「Red Velvet」という一つのコンテンツを構成する要素として、等しく重要である。とはいえ、「Red Velvetによるホラーの表象」にとって関連性の高いキーワードとしては、やはりトラック、MV、歌詞、コンセプト、ダンスあたりだろうか。ということで、おおむねこの辺りに照準をあわせたい。

 

1.2.Red Velvetメンバー

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左から、イェリ、ジョイ、アイリーン、スルギ、ウェンディ

次に、遅ればせながら登場人物の紹介をしたい。

とは言っても、「Red Velvet メンバー」でGoogle検索すれば、プロフィールや経歴についての情報はすでに十分まとめられているので、そちらの手を借りましょう。

 

(注意:たまに写真とメンバー名を間違えています)

 

五人のプロフィールをおおまかにまとめると、以下のようになる。

  • アイリーン:最年長のセンター。人見知りで控えめな性格のお姉さん。
  • スルギ:パフォーマンス面でグループを牽引する。真面目で、たまにドジっ子。
  • ウェンディ:帰国子女のリードボーカル。明るく、豪快で、世話好きな性格。
  • ジョイ:高身長のヴィジュアル担当。クールでマイペース。犬好き。
  • イェリ:ガーリーな末っ子。天真爛漫でちょっとわがまま。

バラエティ番組や、『Red VelvetのLEVEL UP PROJECT』のようなリアリティ番組においては、おおむね上のような性格上の違いが前景化する。イメージとしては、イェリがふざけたりスルギがやらかすのを、アイリーンウェンディが呆れつつたしなめ、ジョイはもぐもぐご飯を食べてる感じだ。動物が出てくると、ジョイが目を輝かせて飛びつき、スルギウェンディが「いいなぁ」と遠巻きに眺め、アイリーンイェリは怖がって逃げがち。番組企画のゲームになると、ウェンディが着実と勝ちを取りに行き、ジョイは大勝負でまぐれ勝ちし、アイリーンスルギはいまいちルールを分かっておらず、イェリは序盤に飛ばしすぎて途中からバテはじめる。家族モデルで考えるならば、アイリーンが母、ウェンディが父、スルギが長男、ジョイが長女、イェリが次女。

 

1.3.用語の導入:パーソン、ペルソナ、キャラクター

以上のような個性を持った対象を、各メンバーの「ペルソナ(persona)」と呼ぼう。これは、(煩雑ながらも)我々が日常的に「あの人は〇〇なキャラだよね」というときの“キャラ”にもっとも近く、表向きに示されている趣味嗜好や行動傾向を指す。このようなペルソナは、プライベートにおける各メンバーとは区別されつつも、部分的に重なる場合も多い。カメラやステージの外にいるメンバー、具体的にはアイリーン、スルギ、ウェンディ、ジョイ、イェリといった芸名ではなく、本名で呼ばれるような私秘的個人については、「パーソン(person)」と呼ぶことにする。我々は基本的にパーソンにはアクセス不能であり、ペルソナを介して垣間見るか、想像することしかできない*2

ペルソナがメディアを介し社会的に伝達される対象であるならば、「キャラクター(character)」はより虚構的・芸術的・物語的に提示される対象だと言えよう。具体的には、MVや歌詞といった、虚構的な物語内で演じられる各役柄を指す。Red Velvetのミュージックビデオは、ショートフィルムのような体裁をとったものが多く、その虚構内におけるメンバーの役割・位置づけには、作品をまたいだある程度の一貫性が見られる。MVの解釈・考察はそれ自体が一つの楽しみになっており、以下のようなブログも存在する。(MVの考察面においては、大いに参考にさせていただいた。ありがとうございます。)

 

このような区別を踏まえたうえで、「Red Velvetによるホラーの表象」を検討する本稿は、まずもってそのキャラクターに焦点を当てる。とはいえ、キャラクターはペルソナやパーソンから独立したものではなく、ペルソナおよびパーソンとの複雑な関係性の中で立ち現れる。すなわち、「パーソン-ペルソナ-キャラクター」の三層は、ときにその一貫性が問われ、ときに戦略的なギャップを示すことで、互いを参照しあう関係にある。とりわけ、本稿が注目するのはその歪みや、不意の反転である。*3

 

2.ホラーとはなにか

2.1.ホラーの定義

次に、「ホラー」を定義する。

Carroll, Noel (1987). The Nature of Horror. Journal of Aesthetics and Art Criticism 46 (1):51-59.

Carroll 1987は、ヴァンパイア、ゾンビ、フランケンシュタインの怪物、狼男、ミイラといった虚構的な怪物たちがもたらす「アート・ホラー(art-horror)」について論じている。まずはこの論文を立脚点として、ホラーの経験を理解しよう。キャロルの論文については、分析美学者である高田敦史氏が論文ノートを公開しているため、まずはこちらを参照いただきたい。

ホラーを経験するさいの情動とはどのようなものか。キャロルは情動の認知主義(cognitivism)と呼ばれる立場に依拠し、特定の身体的状態と、それをもたらした「対象についての信念」を組み合わせることで、恐怖、嫌悪といった情動を説明しようとする*4。すなわち、「恐怖を抱いている」という状態は、身体的な生理現象(震え、悪寒、動悸など)のみには還元できず、そのような身体的状態をもたらした対象がいかなるものか、我々がその対象をどう捉えているのか、という事実認知の水準を考慮しなければならない。

キャロルは二つの認知的信念を、ホラーの条件として挙げる。一つが、「危険/脅威(threatening)」についての認知であり、端的にいえば情動の対象がアブナイということ知っている状態を指す。対して、もう一つの条件である「不浄/汚れ(impure)」概念は、文化人類学メアリー・ダグラスの『汚穢と禁忌』から援用されている。我々が所有する文化的カテゴリから逸脱したり、境界侵犯的だったり、それ自体ぐちゃぐちゃした不定形の対象は、不浄とみなされる。

ここで、危険に対する認知は、「恐れ(fear)」の情動を引き起こし、不浄に対する認知は「嫌悪(disgust)」をもたらす。そして、危険と不浄の両方を伴う対象こそが「ホラー」の担い手となる、とキャロルは論じている。前述の通り、キャロルはヴァンパイア、ゾンビ、フランケンシュタインの怪物、狼男、ミイラといった虚構的な怪物たちを、ホラーの担い手として挙げている。そのような怪物は、いずれも身体的な脅威であると同時に、「生きている-死んでいる」「生物-無生物」「内側-外側」といったカテゴリの境界を侵犯するような不浄の存在として表象されている。

さて、このようなカテゴリとして「ホラー」を定義する場合、Red Velvetはいかに位置づけられるのか。

 

2.2.ハロウィーンと怪物

毎年10月31日に行われるハロウィーンは、もともと日本のお盆にあたる祭日であり、彼岸と此岸の間にある「門」が開くことで、死者の霊が戻ってくる日とされている。同時に入り込んでくる悪霊から身を護るため、悪霊と姿を「同化」してその目を欺く、というのが仮装の起源らしい。ハロウィーンにおいては、かたや死者や悪霊たちが境界を侵犯し、かたや我々が仮装によって境界を侵犯するという、二重の不浄さを伴うと言えよう。ここに、アメリカン・ホラー映画の怪物たちが合流することで、今日の仮装文化が形成されてきた。

怪物は宇宙、地下、海洋、異世界より現れる。それは、慣れ親しんだ我々の世界とは異質な世界からのうろんな客であり、それゆえに、我々の世界認識を脅かし、精神的無能を突きつけるような存在と言えよう。と同時に、怪物との対峙は、我々が自ら怪物と同化する契機となる。「怪物-人間」「加害-被害」「生-死」といった境界が融解するような仕方で怪物と対峙することを、ここではハロウィーン的邂逅と呼ぼう。

まずは、ハロウィーンや怪物のモチーフが使われている事例として、Red VelvetのMVを見てみよう。

 

「Red Velvet 레드벨벳 'RBB (Really Bad Boy)' MV - YouTube

 

あからさまなのは、「RBB (Really Bad Boy)」だろう。狼男との奮闘を描いた物語では、様々な策をめぐらせたものの、最後にはメンバー全員が食べられてしまう。Red VelvetのMVで怪物が表象されたのはこれが初めてではなく、「Rookie」では謎の花男とUFO合戦を繰り広げている。

 

「Red Velvet 레드벨벳 'Rookie' MV - YouTube

 

「RBB」「Rookie」のいずれにおいても注目すべきなのは、そこで描かれているのが怪物による一方的な襲撃ではなく、メンバーによる応戦や策略の中で、キャラクターとしてのメンバーが怪物に同化してゆく過程だ。

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RBB

「RBB」では、狼男を欺くために、アイリーンイェリが双子の女の子に扮する。明らかにキューブリック『シャイニング』(1980)のオマージュであろう当カットは、さらにめまいショットを組み合わせることで、古典的なホラー映画の文法を強く意識させる。シャイニングの双子がホラー的な「加害」であるのに対し、めまいショットがホラー的な「被害」であるならば、そこではメンバーの両義性が見事に表象されている。

「Rookie」では、スルギがクローゼットの中に入る(=境界侵犯を犯す)ことがきっかけとなり、怪物と邂逅する。続くカットが、スルギの目線であるとすれば、怪物の花男はむしろ逃げているようにも見える。後半、UFOに乗った花男との戦闘にしても、ゲーム的な戯れにしか見えない。最後には、花男を含む6人で舞台セットに立つオフショットが映ることで、怪物の虚構性が引き剥がされる。

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Rookie

いずれの関わりにおいても、そこにあるのは怪物による一方的な攻撃ではない。それは、怪物による境界侵犯を受けつつ、自ら境界侵犯を犯すことで怪物と同化する、ハロウィーン的邂逅なのだ。まずはこの点でもって、キャロルの指摘した「不浄さ」の典型例を確認できる。

もっとも「RBB」、「Rookie」といった怪物表象の事例は、「Red Velvetによるホラーの表象」としては、極めてストレートなものだと言えよう*5。多くの作品において表象されるのは、怪物と呼ぶには、やや曖昧な存在である。ここでは広く「怪物的なもの」が表象されると理解しておきたい。

 

2.3.凶器と暴力の痕跡 

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Peek-A-Boo

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Peek-A-Boo

前後するが、次に「ホラー」におけるもう一つの構成要素、「危険/脅威」について考えたい。

まず、ある種の対象は原始的な危険性を示すと言えそうだ。例としては、火、牙、角、爪、毒といった自然的な脅威に加え、銃器、鈍器、刃物、電気といった文明的な脅威も挙げられる。これらを広く「暴力的なもの」として理解するのであれば、血、傷といった暴力の痕跡もまた、それ自体としてホラーの構成要素となる。血や傷跡は、身体的な「内側-外側」というカテゴリを侵犯する点で、不浄なものの例でもある。

 

「Red Velvet 레드벨벳 'Bad Boy' MV - YouTube

 

「暴力的なもの」の表象としては、前述の「RBB」に加え、「Bad Boy」(ガールズ・ギャング)、「Peek-A-Boo」(ピザ配達員を狙った連続殺人グループ)、「Russian Roulette」(高校のような場所でのいじめあい)が典型的だろう。「Bad Boy」、「Peek-A-Boo」では、銃器や鈍器を持ったメンバーが登場し、「Russian Roulette」ではいたずらのようないじめから、生死に関わるような行為(プールのジャンプ台から突き落としたり、頭上に冷蔵庫を落とすなど)へとエスカレートしてゆく。

 

「[Red Velvet - Bad Boy] Comeback Stage _ M COUNTDOWN 180201 EP.556 - YouTube

 

ダンスにおいても、「Bad Boy」にはスルギがライフルを発砲するような振り付け(上掲動画0:35~)が見られる。前述の通り、スルギはやたらと銃を手に持つ描写が多いように見受けられるが、メンバー内でも真面目で正義感の強いペルソナを持つ彼女が、加害側のキャラクターを演じていると考えるのは整合的ではない。ここでは銃を持つスルギを、暴力的な悪(怪物や悪い男)に対する抵抗者として理解すべきだろう。スルギによって演じられるキャラクターは、『バイオハザード』シリーズにおけるミラ・ジョヴォヴィッチと重なる。同時に、抵抗者の存在は、彼女の置かれている世界がホラー的な脅威に満ちたものであることを示す。

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Bad Boy

 

2.4.シミュレートされるホラー

ここまで、キャロルによるホラーの定義を確認しつつ、Red Velvetによるホラーの表象をスケッチしてきた。まとめると、一方で「怪物的なもの」を表象し、一方で「暴力的なもの」を表象するRed Velvetは、たしかに「ホラー」ジャンルにカテゴライズできると言えよう。

この枠組に依拠して分析を開始する前に、少し寄り道をしたい。「ホラー」ジャンルを厳密に定義することは、本稿の主要な関心ではないものの、ここでいま一度、キャロルによる定義の問題点を指摘しておかなければならない*6。キャロルの定義において柱となるのは、「危険/脅威」と「不浄/汚れ」によって特徴づけられるモンスターの存在であった。しかし、キャロルの定義では厳しすぎるのではないか、という反論が存在する。例えば、キャロルの枠組みではアルフレッド・ヒッチコック『サイコ』やスタンリー・キューブリック『シャイニング』のような、いわゆるサイコホラー映画を「ホラー」ジャンルとしてカテゴライズできない。猟奇的なサイコパスは危険だが、必ずしも不浄ではなく、超自然的だったり科学を超越した存在とは言えない。ゆえに、『サイコ』のノーマンや『シャイニング』のジャックを、キャロル的な意味で「モンスター」と呼ぶことは難しく、当の作品もホラー映画ではないということになってしまう。これはホラーの定義として問題含みであろう。

Freeland 2001は、より広範な「悪(evil)」によってモンスターを特徴づけるべきだとして、キャロルの定義を改定しようとする。

Freeland, Cynthia A. (2001). The Naked and the Undead: Evil and the Appeal of Horror. Journal of Aesthetics and Art Criticism 59 (4):433-434.

しかし、この定義では、逆に広すぎる。たしかに、悪によってモンスターを理解するならば、『サイコ』『シャイニング』といった作品をホラー映画として扱えるが、同時に、『グッドフェローズ』のようなギャング映画までホラー映画に含めてしまう。というより、たいていの映画にはなんらかの悪が表象されており、これによってホラー映画を特徴づけることは難しくなる。

ここに至って、我々はホラーの定義不可能性を認めざるを得ないだろう。少なくとも、概念分析的な手法を通して、ホラーの必要十分条件を探る試みについては、諦めたほうがよさそうだ。では、以下ではなにに依拠し、Red Velvetによるホラーの表象を分析すればよいのか。

「Red Velvetによるホラーの表象」によって、筆者はおおむね次のようなことを意図している。すなわち、Red Velvetは、すでに「ホラー」ジャンルにカテゴライズされている既存の作品ないしその様式、あるいは、キャロルらが定式化したような理論的ジャンルとしての「ホラー」を、シミュレートすることによってホラーを表象している。この意味での「ホラー」は、いわばハッシュタグ的なカテゴリー(#horror)であり、ゆるやかで動的なものだ*7。シミュレーションへの着目は、ホラーの定義といった問題群を棚上げするものだが、我々の批評においては差し当たり有効な立脚点となりうる。本章においては、不十分ながらも「ホラー」ジャンルの定義を巡るメタ批評を試みてきた。次に、個別の作品に「#horror」タグを貼り付けるような批評を試みる。これによって、メタ批評と批評をセットでパッケージングしてみたい*8

もっとも、次章の中で見るとおり、ホラーのシミュレーションは「具体的な作品(オリジナル)」を模倣するだけのコピーには、決して留まらない。それは、よりポストモダンな意味でのシミュレーションなのだ。

 

3.Red Velvetによるホラーの表象

3.1.不気味な人形

ジークムント・フロイトは、「不気味さ(uncanny)」の分析において、E・T・A・ホフマンの短編小説「砂男」(1817)を取り上げている。「砂男」において、主人公の青年が恋した少女は、実は冷たい自動人形だった。このとき、あたかも生きているようでありながら、血の通っていない人形は、キャロル=ダグラスが指摘するような「不浄/汚れ」の対象として現れる。蝋人形、ロボット、マリオネットといった人形的なものたちは、「人間-非人間」「生物-無生物」「生きている-死んでいる」といった文化的カテゴリを侵犯することで、生理的な嫌悪感を喚起する。

人形は、それ自体としては身体的な「危険/脅威」を伴わないかもしれない。しかし、文化的カテゴリを侵犯し、鑑賞者の信念フレームを脅かすものには、ある種の精神的危険/脅威が伴うと言えるのではないか。あるいは、宙吊り状態における精神的無能感こそが、「不気味さ」という情動の内実なのかもしれない*9。ゆえに、不気味な人形はそれ単独でホラーの担い手となりうる、と言えよう。

これは、キャロルによるホラーの定義を拡張するものでもある。一方で、キャロルが定式化したような、「(身体的)危険/脅威」+「不浄/汚れ」のホラーがあるとすれば、これとはやや異質な様式として、「不浄/汚れ」+「不気味さ=(精神的)危険/脅威」のホラーがある。そして、Red Velvetにおいて典型的なのは、後者の不気味な=人形的なホラーである。

 

「Red Velvet 레드벨벳 'Dumb Dumb' MV - YouTube

 

「Dumb Dumb」はRed Velvetの代表曲とも言うべき一曲だが、ここには人形的なホラーの極地が見て取れる。

  1. 身体的カテゴリの侵犯:ベルトコンベアに乗って流れてゆく少女たちは、上に挙げたような文化的カテゴリを侵犯し、我々の信念フレームを脅かす。少女が工場で生産され、木箱に積めら れる様子は、ごく不気味なものであり、ディストピア的世界を想像させる。また、ロボットの表象はMVだけでなく、後半のロボットダンス(上掲動画2:38~)や、「play me」「マネキン人形みたいに 1から10まで全てがぎこちない」「目鼻口表情も 手足歩みも 私の言うことを聞かないの」といった歌詞にも現れている。そこでは、想いを寄せる相手の前で制御不能になる身体が歌われている。あるいは、もてあそばれ傷つけられるだけの客体化された身体といってもよいだろう。

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    Dumb Dumb

  2. 画一化と個の消滅:同時に、衣装やメイクといった造形的要素では、各メンバーの個性をあえて消し去っている。アルバムのジャケットやティザー画像では、ワックスで固めたポニーテール、そばかすメイク、メイド風の衣装といったお揃いの格好をしており、それぞれを区別することすら難しい*10。また、「Dumb Dumb」に限らず、Red Velvetの楽曲にはサビで合唱になるものが多い。これは、その他のK-POPグループと比べても、Red Velvetに独特な点だと言えよう。各メンバーの個性はサビにおいて画一化され、のっぺりとした匿名の合唱へと収斂する。

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    Dumb Dumb

  3. 複製と反復:「Dumb Dumb Dumb…」のような印象的なリフレインは、Red Velvetの楽曲で多用されている(「Rookie」「Ice Cream Cake」「Zimzalabim」ほか)。ミニマルで反復的なリズムは、それ自体が画一化された工場の駆動音を連想させ、人形的なホラーの表象を加速させていると言えよう。また、複数人に分裂したメンバーには、人形的な不気味さに加え、双子的・ドッペルゲンガー的な不気味さも加わる。それは、「同一人物が二人存在することはあり得ない」という我々の信念フレームを脅かすような映像なのだ。分裂する身体の表象としては、そのほか「Rookie」終盤の振り付けなど(下掲動画2:15~)。

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    Dumb Dumb

 「Red Velvet 레드벨벳 'Rookie' Dance Practice - YouTube

 

人形的なホラーの表象は、Red Velvetにとって十八番とも言うべきものだが、これに最も寄与しているのはやはりアイリーンだろう。Red Velvetの顔とも言うべきアイリーンは、メンバー随一の色白で、まさに人形のような童顔が特徴だ。ジョイイェリの溌剌とした美しさに対し、アイリーンの美しさには常に「この世のものとは思えない(unearthly)」ような印象がつきまとう。ここに、バラエティ番組などで見せる「控えめだが、どこか達観したような」ペルソナが寄与しているのは言うまでもない*11

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Rookie

興味深いのは、メンバー内でもっとも人形的なキャラクターを演じるアイリーンが、しばしば同時に、人形を操る存在としても表象されている点だ。「Rookie」花男は、実はアイリーンが操るマリオネットだったことが明らかになるほか、「Zimzalabim」にはアイリーンが中心となって他メンバーの身体を操作するような振り付け(下掲動画2:09~)が見られる。MVのストーリーにおいても、アイリーン演じるキャラクターはしばしば黒幕であることが指摘されている*12

 

「Red Velvet 레드벨벳 '짐살라빔 (Zimzalabim)' MV - YouTube

 

뮤직뱅크 Music Bank - RBB(Really Bad Boy) - 레드벨벳(Red Velvet).20181130 - YouTube

 

操る側と操られる側はしばしば反転する。「Zimzalabim」では、上に挙げた振り付けの直後にメンバーの向きが入れ替わることで、主従関係が反転する。同様の振り付けは「RBB」にも見られ(上掲動画2:18~)、押しながら前身する身体と、押されて後退する身体が交換されることで、その境目は曖昧となる。人形を操りながらも、自らが人形と同化していくようなあり方は、前章で論じたハロウィーン的邂逅にも通ずる。

 

3.2.秘密とサスペンス

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Bad Boy

決定的情報の秘匿は、ホラーやサスペンスにとって標準的な文法である。登場人物の不可解な死、科学じゃ説明できないモンスター、呪術、秘密結社、暗号といったミステリーが、サスペンスをサスペンスたらしめる。ダリオ・アルジェントサスペリア』(1977)は、バレエ学徒の謎めいた死に始まり、デビッド・リンチロスト・ハイウェイ』(1997)は謎の男との不気味な邂逅に始まる。アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』(1960)の探偵アーボガストは殺人者の正体へと迫り、オットー・プレミンジャー『バニー・レークは行方不明』(1965)ではいなくなった娘を巡って両親が奮闘する。多くのホラー映画においては、情報の秘匿とその発見という動的なプロセスが物語を駆動している。

 

「Red Velvet 레드벨벳 '피카부 (Peek-A-Boo)' MV - YouTube

 

「Peek-A-Boo」もまた秘匿と発見の物語である。メンバー演じる猟奇的な殺人集団は、新たなターゲットとなるピザ配達員を見定める(上記動画0:42~)。配達員は少女たちの正体を知ることなく、やがて懇意になっていく。目隠しをして緑色のゼリーを食べるゲームの後、配達員はメンバーの一人に連れられて、家から逃げ出す。しかしこの時、配達員を逃がすメンバーはカットごとに次から次へと入れ替わる。命からがら逃げ出した配達員は、公衆電話で通報しようとするが、居合わせたアイリーンにとどめを刺される。

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Peek-A-Boo

 

「ちょうだい 甘いその味 Ice Cream Cake」

Ice Cream Cake / Red Velvet

 

「赤い味が 気になるの Honey

Red Flavor / Red Velvet

 

Red Velvetにヴァンパイアのコンセプトを読み解く考察は少なくない*13。一見するとただのラブソングに見える歌詞でも、「赤い」「味」といったモチーフは、ターゲットに欲望を抱くヴァンパイアを連想させる。これをTWICEの「Hart Shaker」「Yes or Yes」あたりと比較してもらえれば、Red Velvetのラブソングがいかに意味深なのかは明らかであろう。あるいは、そのような“深読み”に対してオープンなコンテンツとして、Red Velvetの歌詞やMVは意図されているとも言えそうだ。

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Peek-A-Boo

秘匿と発見のプロット構成もまた、ハロウィーン的だと言えよう。隠される者と発見する者が折り重なるとき、隠す者および発見される者との奇妙な同化が生じる。秘密という境界をまたいで存在していた両者は、発見という境界侵犯的なプロセスによって一つとなる。モンスターに対す るキャロルの定義は、ホラーのプロット構成についても適用できるのではないか。であるとすれば、ホラーは、①境界侵犯的な存在者=モンスターによって特徴づけられ、②境界侵犯的なプロットによって特徴づけられる、と言えそうだ*14

 

3.3.呪術とオカルト 

「Red Velvet 레드벨벳 '행복 (Happiness)' MV - YouTube

 

「Red Velvet 레드벨벳짐살라빔 (Zimzalabim)’ Mass Performance _ ZIP.CODE _ SEOUL - YouTube

 

デビュー曲「Happiness」で取り入れたアフリカン・ビートから、最新曲「Zimzalabim」に見られる西アジア的なモチーフまで、Red Velvetの楽曲やダンスにはエキゾチシズムが強く現れている。前述の通り、「Rookie」「Dumb Dumb」といった楽曲に顕著なリフレイン・フレーズは、人形的ホラーを構成する要素の一つであったが、これ同時に、呪術的なホラーをも構成しうる。超自然的な摂理が現実世界を侵食するホラーは、いわゆるオカルトとして一つのサブジャンルを形成している。

 

「Red Velvet(레드벨벳) - 'Dumb Dumb' COMEBACK Stage M COUNTDOWN 150910 EP.442 - YouTube

 

ダンスのレベルでは、「Zimzalabim」のサビで両手を合わせるところや、「Dumb Dumb」の冒頭で本のページをめくる振り付けなど*15

 

「Red Velvet レッドベルベッド '#Cookie Jar' MV - YouTube

 

呪術的なモチーフは、映像のレベルでも明らかだ。「#Cookie Jar」ではアイリーンの怪しげな調合によってスイーツを作り出し、「Bad  Boy」ではウェンディがカメラを燃やし、「Peek-A-Boo」ではピアノの上に座ったジョイの周囲を、メンバーが回るという儀式的な場面が見られる。いずれも、特定の結果をもたらすためにある種の呪術的な行為がなされている。

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Bad Boy

超自然的な呪術によって特定の結果がもたらされるというプロットには、怪物や人形のホラーと同様の構造がある。境界侵犯的な呪術によって、精神的無能を突きつけるようなホラーの例としては、ロマン・ポランスキーローズマリーの赤ちゃん(1968)、ウィリアム・フリードキンエクソシスト(1973)などが挙げられよう。いずれにおいても、悪魔崇拝者は悪魔と同化していく。生贄としての人形と、異世界より召喚される怪物の交換にしても、呪術の境界侵犯的な側面が指摘できる。

 

3.4.撹乱するキャラクター

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Russian Roulette

Red Velvetはホラーを表象する上で、既存の作品やしかじかの様式をシミュレートするのであった。その中には、『シャイニング』(「RBB」)、『スウィーニー・トッド』(「Peek-A-Boo」)といった具体的な作品への参照もあるが、断片的な引用によって紡がれるRed Velvetというテキストは、やがて参照元のオリジナルを失い、シミュラークルと化す。音楽性、ファッション、コンセプトなど、膨大な引用のなかで「オリジナル-コピー」の二項対立が融解するのは、K-POPカルチャー一般に言える現象であろう。

写真家シンディ・シャーマンによるセルフ・ポートレートは、男性的な欲望によって客体化される女性のイメージを操作し、オリジナルとの対応を欠いたシミュラークルとして提示する。それは、たしかにどこかで見たことがあるようなイメージであり、同時にどこにも存在しない、捏造されたイメージである。ここで、参照先を持たないキャラクターは、単なる虚構にとどまることなく、我々のアクチュアルなパーソンやペルソナを脅かそうとする。確固たる輪郭を持った「私」が、実はキャラクターの一つでしかないことを暴露するのだ。ここにも、静的な二項対立を無効にしようとする動力がある。

先立って、Carroll 1987はポストモダニズム思想とホラーの親和性にも言及している。所与の図式を解体しようとする前者と、カテゴリ侵犯的な不浄さを構成要素とする後者とでは、なるほど似たような動力の存在を指摘できるだろう。

 

「Red Velvet 레드벨벳 '러시안 룰렛 (Russian Roulette)' MV - YouTube

 

「Russian Roulette」で体操着やテニスのユニフォームに身を包んだメンバーたちは、ひどくシャーマン的な身体を顕にする。互いをいじめ合う女子学生たちの物語は断片的で、加害-被害の関係には一貫性がない。MV中のアニメーションで直接参照されるのはザ・シンプソンズの『イッチー&スクラッチー』だが、『イッチー&スクラッチー』自体がトムとジェリーをパロディした作品でもある。さらに言えば、トムとジェリーもしばしば、同時代の出来事や流行をパロディしている。孫引きの中で真実が失われていくように、「Russian Roulette」で描かれるのはシミュラークルと化した暴力劇なのだろう。淡々と傷つけ合うデッドパンの少女たちは、禍々しく、不気味だ。なによりも、そのようなキャラクターが、シャーマン的な撹乱によって“現実”を脅かそうとする点に、「Russian Roulette」のホラーはある。

 

「夜の闇に囲まれ 影も道に迷うくらい」

Russian Roulette (Japanese Ver.) / Red Velvet

 

この印象的なラインを歌うジョイは、作中でも重要な一場面を演じている。それはテニスコートで、アイリーンに向かってボールを打つ場面(上掲動画2:39~)だが、ここでジョイはいつもの笑顔を見せている。もともと「Russian Roulette」のMVは、いじめ合う少女たちの物語と、メンバーたちによるダンスパートに区別されていた。後者は音楽番組でのパフォーマンスに近く、そこで歌い踊るメンバーたちのペルソナは、前者の物語で演じられるキャラクターからひとまず分離しているはずだ。しかし、件の場面でジョイが見せる笑顔は、われわれがよく知っているジョイの笑顔であり、その同一性はフィクションと現実をシームレスにする。ここには、「Rookie」のラストシーンと似た仕掛けがある。無表情の異様さによって現実から分離していた物語は、ジョイの笑顔一つによって虚構性を解除されるのだ*16

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Bad Boy

ホラーとしてのRed Velvetにおいて、このような撹乱は大きな役割を果たしている。メンバーの演じるキャラクターは、あえてペルソナやパーソンを侵食するような場所に配置されているのだ。たしかに、一般的によしとされるのは、「パーソン-ペルソナ-キャラクター」に一貫性がある場合だろう。Cray 2019の挙げている例で言えば、カート・コバーンがバンド活動の裏で保険事業を営んでいたら、彼の作品まで台無しになってしまう(説得力を失ってしまう)。しかし、プライベートのパーソンと、ステージ上のペルソナに一貫性を求める態度は、「オリジナル=パーソン」「コピー=ペルソナ」というありきたりな想定のもとにあり、しばしばアーティストに対して不当な期待を背負わせることになる。ここで、キャラクターという第三の項は、模倣に留まることなく、人物のアイデンティティ自体を相対化する。カート・コバーンが身を持って示したように、パーソンとペルソナは鶏と卵の関係であり、どちらがオリジナルとも言い難いのだ。

 

「Billie Eilish - bury a friend - YouTube

 

キャラクターによる撹乱からホラーを起動させる手法は、ビリー・アイリッシュの作品に顕著だ。いまや21世紀のカート・コバーンとなりつつあるビリー・アイリッシュも、その音楽性・世界観の構築において「ペルソナ-キャラクター」の操作に重点を置いている。かたや顔に鼻血をこびりつけ、目から黒い液体を流すキャラクターは、ジャスティン・ビーバーが好きな17歳のティーンエージャーというペルソナ~パーソンを引き裂く。一方で、MVで見せる分裂症的な振る舞いは、本人が公言している神経疾患とシームレスなものとして提示されており、フィクションとノンフィクションの境は融解する。『When We All Fall Asleep, Where Do We Go?』における境界侵犯的な主題は、Red Velvetのホラーとまさにパラレルなものである。社会反映論として落とし込むつもりはないが、実存的な不安、政治的な不確かさが、ホラーの流行をもたらしているというのは、一つのトピックとして議論できそうだ*17

 

4.アウトロ

「Red Velvet - Kingdom Come Lyrics (Color Coded han_rom_eng) - YouTube

「I got you, you got me. Love you till kingdom come.」

Kingdom Come / Red Velvet

 

本稿では、Red Velvetというテキストをホラーとして読み取ってきた。

Red Velvetというグループは、いい意味で一貫性がない。TWICEが恋するスクールガールを演じ、BLACKPINKが強く生きる女性を演じるのであれば、Red Velvetはその都度異なる夢の世界を表象する。洋服とスイーツ、銃と殺人、恋とカルト、怪物と人形。奇怪なオブジェクトで敷き詰められた夢は、極彩色のサーカスみたいだ。秋冬にダークなコンセプトで新曲を出したかと思えば、夏にはキャピキャピのサマーアルバムでカムバする。

そもそも、Red Velvetは二面性をコンセプトとするグループであった。強烈で魅力的な「Red」とフェミニンでなめらかな「Velvet」は、それぞれカラフルなEDMとスムースなR&Bという音楽性に対応している。そして両者は、Red Velvetという「ホラー」において混ざり合う。本稿が、Red Velvetというアイドルグループの鑑賞において、一つの切り口を提供できたとすれば幸いだ。

 

「Red Velvet、2ヶ月ぶりのスピードカムバック決定…8月中にニューアルバムを発表 - MUSIC - 韓流・韓国芸能ニュースはKstyle」

 

8月後半には、はやくもカムバが控えている。賛否両論の狂曲「Zimzalabim」の続編らしいが、どんな作品になるのか。引き続き注目していきたい。

皆さまも、よい夏を。

 

 

引用例

銭 清弘「レッド・ベルベットのホラー:怪物、人形、あるいは呪術と攪乱」obakeweb、2019年

 

 

 

*1:本稿で主に扱うのは、ホラーの定義問題である。情動の問題とパラドクスの問題は、本稿にあまり関わらないので扱わない。

*2:「ペルソナ」という層への懐疑論者対し、簡単なコメント。すなわち、「バラエティ番組やリアリティ番組におけるメンバーたちは、いたって“素”であり、演じているわけではない」という反論だ。同様の反論を、Cray 2019も取り上げている。

Cray 2019は、「パーソン」と「ペルソナ」の事実上の一致を、「透明なペルソナ(transparent persona)」と呼んでいる。ここで、ペルソナがパーソンに対して透明であることは、当の人物がペルソナを“持たない”ことを意味しない。ペルソナとは定義上、社会的な場において他者になにかを伝達するさい、必然的に立ち現れる項である。とりわけ、アイドルという社会的な自己表現を行うさい、そこにペルソナが立ち現れるのはもっともだろう。もちろん、「彼女はしかじかのペルソナを持つ」という指摘の中に、「本当は(=パーソンとしては)そうではないのに、嘘をついている」という意味合いが常に含まれるわけではないし、ペルソナを指摘することがそれ自体として批判的なニュアンスを帯びることは決して無い。「演じている」というのも、場合によってはより受動的なニュアンスを含む「演じさせられている」に置き換えるべきだろう。

*3:上記の用語法は、おおむねナンバ 2018に従っている。ナンバユウキ氏(@deinotaton)はバーチャルユーチューバー(VTuber)のあり方について、「パーソン」「メディアペルソナ」「フィクショナルキャラクタ」の三層構造を指摘している。

「バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism」

用語法としては、本稿における「ペルソナ」を「メディアペルソナ」として、「キャラクター」を「フィクショナル・キャラクタ」として理解することに、それほど大きな問題はないだろう。以下では、いくつかニュアンス上の細かい違いを確認する。

まず、ナンバ 2018による「パーソン-フィクショナルキャラクタ」の区別には、前者が「現実世界にいる三次元の人物」である一方、後者は「二次元のアニメーションによって描写されるアバター」という含みがあるが、本稿においてアバターという要素は考慮しなくてもよい。この点で、本稿が扱うK-POPアイドルの「パーソン-キャラクタ」の関係は、VTuberのそれよりも、いっそう映画/演劇的な関係だと言えよう。すなわち、パーソンという現実の役者が、おおむねそのままの姿かたちでもって、キャラクタという虚構的な存在者を演じるという、端的な関係で記述される。

また、「ペルソナ」を「メディア・ペルソナ」と呼ぶ場合、(「キャラクター」を形成する)MVや歌詞といった“メディア”を切り離して考えなければならないため、後者の用語は採用しない。例えば、スルギはMVというメディアの中でいくどとなく銃器を手にしているが、「銃器を手にしている」のは虚構的なキャラクターとしてのスルギであり、そのパーソンとペルソナはひとまず銃器の所有には関与しない。

*4:すぐあとで分かる通り、キャロルは「恐怖(fear)」とホラーを区別している。山道で遭遇したクマや、自然災害は恐怖を生じさせるが、それ自体としてホラーではない。

*5:その他、ストレートな怪物表象の例としては、『Russian Roulette』収録のアルバム曲「Bad Dracula」など。

*6:以下の議論は、Smuts 2008を参照している。

Smuts, Aaron (2008). Horror. In Paisley Livingston & Carl Plantinga (eds.), Routledge Companion to Philosophy and Film.

*7:カテゴリーの定義を諦め、ハッシュタグの運用へとフォーカスを移すようなやり方は、下掲のマジックリアリズムでも採用した。

「「#magicrealism」のレシピ:「分裂」と「統合」の力学 - obakeweb」

*8:このような目論見は、繰り返しになるが、分析美学の理論を「使う」試みでもある。

*9:「不気味さ」の定義については、銭 2019で扱った。もっとも、本稿での議論はいくぶん修正を加えている。

*10:見た目を揃えるというコンセプトは、「Happiness」「Be Natural」「Automatic」「Ice Cream Cake」といった初期の作品に多く見られる。

*11:逆に、バラエティ番組などでおちゃめな言動を見せる時には、キャラクターとペルソナのギャップが大きな魅力となっている。ちなみに、韓国語ではギャップ萌えのこと「反転魅力」と呼ぶ。かっこいい。

*12:「【Red Velvet】RBB考察 - K-POPの謎解きブログ」

*13:余談だが、末っ子イェリは「将来の夢はヴァンパイア」だと言っている。

*14:キャロル自身、典型的なホラーのプロットとして、上で述べたようなもの(秘密と発見の物語)に言及している。キャロルはこれを「発見プロット(Discover plot)」と呼ぶが、一方で、別のタイプとして「行き過ぎプロット(Overreacher plot)」も挙げている。こちらでは、マッドサイエンティストなどが物語の序盤で境界侵犯を犯すことで、危険なモンスターや危機的状況が生じる。詳細についてはCarroll 1990の第3章を参照。

Carroll, Noel (1990). The Philosophy of Horror: Or, Paradoxes of the Heart. Routledge.

*15:ちなみに、「Zimzalabim」のサビ振り付け候補は、めちゃダサい。これになっていたら、批評するこちらも困っていたことだろう。

「【Red Velvet】新曲「zimzalabim」の元の振付候補が狂ってると話題に→韓国の反応「SM頭おかしくなった?」 _ ノムノム韓国の反応ブログ」

*16:キャッチコピー「Red Velvetの最高可愛い」ことジョイだが、学生時代のあだ名は「笑わない女」らしく、わけがわからない。

*17:思弁的実在論加速主義その他の近年の思想的潮流においても、その論者によるホラー研究も盛んだ。グレアム・ハーマンによるラヴクラフト論や、スラヴォイ・ジジェクによるホラー映画論など。