「即興の哲学」:Aili Bresnahan "Improvisation in the Arts"(2015)

f:id:psy22thou5:20190129124250p:plain

「分析美学におまかせ!」シリーズ(いま考えた)、今回は「即興(improvisation)」です。 

ノープランで、とっさに何かをやる技法。とりわけ音楽において用いられることの多い「即興」だが、古典的な音楽哲学ではいまいち扱いにくい、というのが今回のポイント。

そんな「即興」をなんとか記述/説明しようという論者たちによって、「即興の哲学」とも呼ぶべきフィールドが形成されている。

今回読んできたのは、アイリ・ブレスナハンによる「芸術における即興」(2015)。

著者はデイトン大学で助教授をされている女性美学者。こちらは、イケてるサーヴェイ論文が豊富なことで有名なPhilosophy Compassに掲載された論文。

英米美学における「即興」研究といえば、ほとんどがジャズ研究だが、ブレスナハンはこれを様々な個別芸術(とりわけ著者の専門?であるダンス)に広げようとしている。

構成としては、第1節、第2節で広く芸術における「即興」を概観し、第3節で「即興」の存在論に関する問題、第4節で「即興」の評価/鑑賞に関する受容側の問題を扱う。

 

僕自身、セッションでアドリブソロをとることが多いので、こういった研究があるのは興味深いですね。音楽に限らず、芸術における(非)創造行為に関心のある方なら、面白く読めるはずです。

 

(*言及されている作品にはなるべくリンクや動画を添えました。言及されているわけではないが、関連する作品も独断で混ぜています)

 

 

1.芸術一般における即興

■広義の即興

  • Alperson 1984によれば、一般的に「即興(improvisation)」とは、「自発的(spontaneous)、計画外(unplanned)、ないし野放しの(free-ranging)創造性(creativity)」を指す。また、「即興行為」そのものに加えて、「即興行為による産物」を指す。
  • (広い意味での)創造性という点から即興を論じたものとして、Alperson 1998はアリストテレスの『詩学』とロビン・ジョージ・コリングウッドの『芸術の原理』を挙げている。
  • これら、広い意味での「即興」は、芸術に限定されるものではなく、会話、科学、倫理など、人間の活動に広く見られるものと言える。
  • ⇔一方、音楽、演劇、ダンスにおいて「即興」はパフォーマンスにおける特定の方法、様式、特徴を指す。

 

■即興は必ずしも"即興的"なわけではない

  • 理論家らの共通認識として、即興はアドホックな行為ではない。それは、スキルやトレーニング、計画、制約、用心を含むもの。
  • ➡創造やパフォーマンスは、いずれもジャンルや様式の目的(aims)を意識した上でなされている。「悲劇」のプロットや登場人物は、観客に憐憫と恐怖を促すようなものでなければならない。*1

 

  • Kernfeld 2002「ジャズにおいて、全くの自由即興といったものは、実は少ない」「とりわけ、複数人によって演奏されるため、曲の進行は同意のもとでなされる」➡一見すると自由な即興にも、制約がある!
  • Alperson 1984 & Brown 2000「即興は、文脈や伝統を超越するからこそ、伝統に関する深い理解が欠かせない

 

■即興とは何か?

  • ぶっちゃけ「即興=素早い作曲行為」なんじゃないか説(Hamilton 2000、Alperson 1984が紹介している)。
  • ⇔Cavell 1976「即興は一時的な(ephemeral)ものだし、批評家による評価のされ方も異なるので、即興=作曲ではない」

 

 

2.個別芸術における即興

 ■個別芸術

  • ジャズ以外に関する即興研究は少ない。個別芸術における即興については、さらなる言説を要する。
  • もっとも、ジャンル横断的な芸術も多い。

 

絵画、文学、実験音楽、映画

■絵画における即興

f:id:psy22thou5:20190127160158j:plain

Kandinsky 'Improvisation 28 (second version)' 1912

f:id:psy22thou5:20190127160431j:plain

Cézanne 'Mont Sainte-Victoire' 1904-06

 

  • Sawyer 2000は、ピカソの絵画における即興の痕跡を指摘している。製作中に何度も方針転換を行うんだとか。

 

f:id:psy22thou5:20190128011744j:plain

Pollock 'Blue Poles' 1952

 

■文学における即興

  • Sterritt 2000は、文学における即興の例として、ビート・ジェネレーションの詩人を挙げている。
  • ジャック・ケルアックはサックス奏者Lee Konitzに触発され、ジャズのビバップを創作に取り入れた。「意識の流れ」みたいに、漫然と思いついたことを、呼吸のリズムとともに書きなぐる。

Jack Kerouac

In Vain

The stars in the sky
In vain
The tragedy of Hamlet
In vain
The key in the lock
In vain
The sleeping mother
In vain
The lamp in the corner
In vain
The lamp in the corner unlit
In vain
Abraham Lincoln
In vain
The Aztec empire
In vain
The writing hand: in vain
(The shoetrees in the shoes
In vain
The windowshade string upon
the hand bible
In vain—
The glitter of the greenglass
ashtray
In vain
The bear in the woods
In vain
The Life of Buddha
In vain)

 

■個別芸術間の影響

 

実験音楽における即興

 

■映画における即興

  • Sterritt 2000は、映画における即興としてロバート・アルトマンマイク・リーを挙げている。彼らは俳優との撮影前リハーサルで、即興を取り入れていた。これはWexman 1980が指摘した、演劇のリハーサルにおける即興と似ているが、相違点(目的が上演か記録か、など)もある。
  • アンディー・ウォーホルジャック・スミスは、即興そのものを撮影し、映画にした。(以下は、ウォーホルがむしゃむしゃとハンバーガーを食べているだけの動画)

  • やりすぎな例。Wexman 1980によれば、アルトマンやジョン・カサヴェテスの映画は、即興のための即興になっていて、観客の存在をないがしろにしていると批判されることもある。

 

パフォーマンス・アート、演劇、ダンス、ジャズ

パフォーマンス・アートにおける即興

  • パフォーマンス・アートにおいて、曲や振り付けを作るアーティストと、演者は基本的に別々。が、そうでないことも多い。
  • マリーナ・アブラモヴィッチのパフォーマンス/ハプニングには、即興的な面が多く見られる。(以下は、「リズム 0」という1974年の伝説的作品。6時間ものあいだ自らの身体を観客の思うがままに委ねるというもの。エグいので注意。)

  • パフォーマンス・アートにおける形式的な即興は、以下の特徴を持つとされる。
  • ①作品全体もしくは部分に取り入れられる、②主題や構造の配置に変化をもたらす、③パフォーマンスそれ自体ではなく、外的な出来事やよく知られている出来事を参照する、④リスクを含む、⑤ときに反復を含む。

 

■演劇における即興

  • 演劇における即興は、以下のようなものがある。
  • ①コンメディア・デッラルテ*2、②喜劇や道化モノ、③とりわけ有名なのがヴィオラ・スポーリンの即興演劇。

  • いずれも、役者が即興的に演じるような構造を持つ。
  • シカゴの名門、セカンド・シティ劇団による即興コメディも有名。

 

■ダンスにおける即興

  • ダンスに即興を取り入れたアーティストとして、Yvonne Rainer, Steve Paxton, Twyla Tharp, Daniel Nagrin, Art Bauman, Richard Bull, Margaret Beals, Kenneth King, Dana Reitz, Tanaka Min, Mark Morris, Judith Dunn, Dianne McIntyre, Bill T. Jones, Blondell Cummings, Jowale Willa Jo Zollar。
  • 上に挙げた「コンタクトインプロビゼーション」に加え、オーディエンスを巻き込むゲーム構造を持ったものもある。即興は本番と練習の両方で取り入れられる。

 

  • ダンスにおいても、ジャズの影響は大きい。
  • アフリカン・アメリカンによるダンスは、ジャズの即興から大きく影響を受けている。ヒップホップのダンスバトルなど。ルーツにはアメリカにおける奴隷の歴史があるんだとか。(Juke/Footworkのバトルも、このへんかな、と思っている)

 

■ジャズにおける即興

  • Kernfeld 2002によれば、ジャズにおける即興には以下のような特徴が見られる。
  • パラフレーズによる即興(メロディを変えるなど)、②モチーフの使用(他の楽曲からフレーズを借用するなど)、③定型的な即興(特定のフレーズを連続させるなど)、④motivic improvisation(詳細不明……)、⑤それらの組み合わせ、⑥モード奏法。
  • Brown 2000によれば、ジャズにおける即興に関しても社会政治的な側面が指摘できる。*3

 

 

3.即興と存在論

 ■存在論的にどう説明するか

  • 前もって「作品」があり、例としての「演奏/演技」がある、という伝統的な作品概念では、即興を説明できない
  • 即興演奏/演技が作品の創造であるならば、奏者/演者は同時に作曲家/振付師ということになる。これは伝統的な「作者⇔役者」の区別に反している。
  • 「タイプ⇔トークン」という区別によっては説明できない? 以下ではこの問題を詳しく見ていく。

 

即興はいかにして「芸術作品」概念に影響するか

■「即興」は「芸術作品」なのか

  • 即興とは、前もって存在し、永続する「作品」の一解釈なのか? それとも、変容された新しい作品なのか?
  • いろんな哲学者がいろんなことを言っている。

 

  • ネルソン・グッドマンは、構造説によって音楽やダンスを説明している。McFee 1992,2011もグッドマンに従う。
  • 両者は、記譜法によって芸術作品を構造的に説明する。しかし、即興について明確には扱っていない。

 

  • Roger ScrutonやDavid Daviesは、即興においては、作品と演奏が同一(identical)であると考える。演奏であると同時に作品そのものである。
  • Alperson 1984は、例化する演奏があってはじめて作品は存在する、と考える。ここでも、作品と演奏がイコールになっている。

 

■ジャズの即興は「芸術作品」の創造ではない説

  • Hagberg 2002およびHamilton 2000曰く、「ジャズは作品(works)を作るのではなく、出来事(events)を作る」。Osipovich 2006は演劇に関して似たようなことを言っている。
  • Kania 2011は、即興的な側面が強いことから、ジャズは芸術作品の創造ではない、と論じる。
  • S.Davies 2001は、とりわけ作者に創造の意図がない場合、ジャズは芸術作品ではなくただ「音楽演奏」なのだと指摘する。
  • Brown 1996,2000は、複数の事例において、同一であることが指摘できない(演奏ごとにアドリブソロが違うなど)という点から、ジャズ演奏はやはり「作品」ではないと論じる。

 

  • ジャズ演奏が「芸術作品」でなく、いわゆる「芸術=創造行為」でないのなら、「即興=芸術的ではない」ということでは?
  • もちろん、広義の芸術(art)において、ジャズは芸術的なものとみなされている。とにかく、ジャズ〜即興を芸術とみなすのであれば、いわゆる「芸術作品」概念とは異なる説明が必要とされる。

 

即興はいかにして「タイプ⇔トークン」の区別に影響するか

■即興は「タイプ」ではない?

  • 即興が、必ずしも「芸術作品」の創造でないのならば、いわゆる「タイプ」の創造ではないと考えられる。
  • 「タイプ」とは永続する普遍種であり、「トークン」としての事例によって例化される。
  • ここでは、演奏される構造がタイプであり、個別の演奏がトークンとなる。
  • James Young、Carl Matheson、初期のBrownらは、ジャズの即興も「タイプ⇔トークン」の区別で説明できると考えているが……。

 

■反復不可能性

  • Hagberg 2000,1998は即興演奏の反復不可能性から、「タイプ⇔トークン」の区別を退ける。
  • 曰く、ジャズの即興はトークンを提示するのではなく、「具体化された音」を提示する(詳細不明)。Bertinetto 2012もこれに同意し、「タイプ⇔トークン」ではジャズの即興を説明できないと考える。

 

■一時的であること

  • 即興は多くの場合、一時的な(ephemeral)ものに過ぎない。これもまた、永続する普遍的な「タイプ」としての「芸術作品」概念に反する。
  • 問題は依然として残っている。やはり、①「即興は芸術ではない」と開き直るか、②「タイプ⇔トークン」とは別の説明をするしかない。

 

 

4.芸術における即興はいかにして美的評価や鑑賞に影響するか

■即興の評価、鑑賞、批評――観客の役割

  • 即興は、芸術作品の評価や鑑賞(evaluation and appreciation)にも関わる。
  • Hagberg 2000によれば、批評においても、即興の一回性は重要なものとなる。また、その場限りの即興を批評することは、記録された即興を批評することとも異なる。
  • その場限りの即興演奏/演技に居合わせて鑑賞することから、即興はオーセンティシティを持つ。ごまかせない。
  • 即興は、その場の驚き、実験、発見によって評価される。

 

  • 即興が与えるのは、即時性(immediacy)の感覚や感じ(sense or feel)。即興において起こることは、演者にとっても観客にとっても、新しく、即時的なもの。
  • Alperson 1998などの指摘によれば、即時性の感覚は、芸術家と観客が同じ体験を共有するところから生じる。観客には反応が求められる。
  • 出来事が、一回かぎりで、反復されないのであれば、観客は注意深く鑑賞することになる。Hagberg 2000やBrown 2000によれば、注意深く見てない観客は、作品の重要な質を拾えない。
  • パフォーマンスに参与しているかのような強い意識から、観客は美的な経験をする。
  • よって、Brownも指摘するように、パフォーマンスの美的質は観客の反応にも依存している。

 

■即興における「不完全性の美学」

  • また、ときに観客は、即興のカオスな面を美的に鑑賞する。Hamilton 2000はこれを「不完全性の美学(aesthetic of imperfection)」と呼ぶ。
  • ジャズにおいて完璧であることは、必ずしも唯一かつ最優先な評価基準ではない。

 

 

👉「即興の哲学」参考文献

ブレスナハンが引用している「即興」関連の文献のうち、以下のものは抑えておくとよさげな感じ。(未確認ですが)

上に挙げたもののほとんどは、The Journal of Aesthetics and Art Criticism2000年春号「Improvisation in the Arts」特集に収録されている。ひとまずこの号はマストだと思われる。

ジャズ関連の日本語文献としては、源河亨(@tohrugenka)さんによるTheodore Gracyk 『On Music』(2013)の訳書が、まもなく出版とのこと。

直接「即興」と関連するものではないが、ポピュラー音楽周辺の議論も参考になる。いずれも、「芸術作品」や「タイプ⇔トークン」みたいな概念じゃ不十分だね、というのが分かる。

 

 

感想&コメント

■芸術における「即興」について、その他事例

トピックが多岐にわたり、それぞれ十分に掘り下げられていない感が否めないが、ひとまず「即興の哲学」の議論については俯瞰できた。入門論文としては悪くない印象。

序盤の「即興は必ずしも"即興的"ではない」という議論には納得。僕やグラント・グリーンみたいな生半可なファンクギタリストは、およそ数十(十数?)の手癖フレーズだけでアドリブソロを弾いているので、即興のようで全然即興じゃなかったりする。

 

音楽関連で取り上げられていない事例としては、ジャズセッションのインタープレイなど。複数人で同時に即興をする場合、ある種の合意というか、暗黙の了解が制約としてあるはず。以下はビル・エヴァンスジム・ホールのデュエット。

それからフリースタイルのラップバトル。あれは、音楽と詩の中間的な事例で、なかなか研究のしがいがあると思われる。もちろん、DJプレイも即興的。

 

映画に関しては、ゴダール作品に即興が含まれているというのは有名な話。あとは、ウォン・カーウァイ作品にも即興演出が多い、ってどこかで聞いた気がする。とはいえ、撮影して編集して複製する、という段階を経た映画作品の「即興」は、リアルタイムで演技/演奏される「即興」とは意味合いがずいぶん違うよな、とは思う。

(あと、即興×映画でふと思い出したけど、『ダークナイト』の病院爆破シーンがアドリブだっていうのはデマだそうですよ) 

 

存在論的問題について

これも、ぼんやり思いついただけだが、「即興」と「通常の演奏」あるいは「ミス」の違いって、そこまで自明なんだろうか。

ある種の規範としての「通常の=正しい演奏」を中心に据えるなら、逸脱という意味で「即興」と「ミス」は同じだし、両者を区別するものとしては「演奏者の意図」ぐらいしかないんじゃないか。しかし、意図せぬミスによって出した音がたまたまスケールにハマっていて、偶然いい感じのフレーズになったら、聞いている側からしたら「即興」なのでは? 「意図」ないし(西洋)音楽的な良さ悪さでは、「即興」を「ミス」から切り離せない気もする*4僕も、ソロ中にミスったら、あたかも「そういう即興です」みたいな顔して乗り切ることがよくある。

そもそも、「通常の=正しい演奏」というものは無いともいえる。音楽の存在論でしばしば議論される「多様性の許容」を考えれば、同じ曲でも、個々の演奏が微妙に異なっているのは明らかだろう。「オーセンティックな演奏」を中心に据えることが難しいのであれば、「即興」はめちゃくちゃありふれているどころか、演奏は全て「即興」なのではないか?

 

■受容の問題について

個人的にはそういった存在論的問題よりも、「即興の美的価値がどこから生じるのか」「どのような評価基準が想定されるか」みたいな受容側の話(第4節)を掘り下げてみたい。単純に、「良いソロ」というときの「良さ」ってなんなのか。(プレイヤーとしても知りたい……)

普段ジャズは演奏していないんですが、ジャズマンの間ではもっと「良さ」の基準みたいなのがあるんだろうな、と妄想している。セロニアス・モンクとか、聞いている分にはすごく好きだけど、あんなわけわからん音選びでなぜ「良い」のか言語化できない。

あと完全に余談ですけど、マンガ『BLUE GIANT』を読むと、ジャズやインプロの面白さがなんとなくめちゃくちゃ分かります。素晴らしい作品なのでおすすめ。

 

■ダンスの分析哲学 

本題とはズレるが、ダンス周辺の議論はすごく面白そう。普段、身体芸術はあまり扱っていないので、この辺も勉強したいな。

そういえばレンジャーダンスってまだいない気がする。美学においてはかなりの積み重ねがあり*5、個人的にも興味があるので、写真研究の合間に手が空いたら、そちらも紹介していきたいですね。

 

 

*1:ウォルトンのカテゴリー論における「標準的性質」を意識した上で、王道に近づける、みたいな話かと。

*2:16世紀にイタリア北部で生まれた即興演劇。仮面を用いる。

*3:具体的には言及されていないが、西洋古典音楽に対する逆張りとして、モードのコード進行や、インプロを指摘できるのではないか、と思っている。

*4:各所でぼやいている通り、僕は「意図」による説明全般に無理を感じている。

*5:Routledge Companionでも章が割かれている。