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発表「不気味な写真の美学」:若手哲学研究者フォーラム後記

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先日、はじめての学会発表をしてきました。

国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催された「哲学若手研究者フォーラム」の2日目(7月14日)。朝11:00からの発表です。

題目は「不気味な写真の美学」ということで、写真が喚起する「不気味さ(uncanny)」の情動について論じました。

せっかくなので、発表の概略や当日の所感などを、記事にまとめます。

 

また、発表で使用したハンドアウトとスライドのPDFは、researchmapにて公開しています。そちらもぜひご覧ください。(「講演・口頭発表等」のうち、「不気味な写真の美学」右下にあるダウンロードから見れます)

 

1.「不気味な写真の美学」:内容概略

分析写真論における主要なトピックのうち、現象学的特権」あるいは「情動的能力」と呼ばれている問題を扱いました。「写真は、絵よりも特別な情動をもたらす気がするけど、それはいったいなぜなのか?」という問題。具体的には、超精巧に描かれた絵画よりも、色あせた白黒写真のほうがなにの点で「特別」であり、ゆえにより好まれるのであれば、それはなにゆえに特別なのかというトピックです。

修士論文では、より広く論争を扱う予定ですが、今回の発表はいわば各論として書き下ろしたものです。

構想の経緯としては、先立って読んだ以下の論文がきっかけです。

これと、Walton 1984などが論じている「現象学的特権」の問題をつなげてみたら、おもしろいんじゃないかと*1

また、検討会で紹介していただいたCarroll 1987もかませてみました。

 

当初はWalton 1984や、Hopkins 2012の議論を援用することで、「不気味さ」に関する写真の情動的能力を擁護するつもりでしたが、論文下書きの段階でしっくりこなかったため、途中で方針を転換しています。結果としては、Pettersson 2011が論じている「痕跡としての写真」説を援用し、これで写真の不気味さを説明してみました。

「写真は痕跡とみなされるので不気味だ」と論じたあとは、「写真はどういう痕跡なのか」ということで、写真メディアによる時間・空間の凍結脱文脈化を取り上げています。いま思えば、痕跡説をとったおかげで、こちらの議論にもスムーズに繋げられたのではないでしょうか。

全体としては「不気味な写真」を解剖するという、きわめて夏っぽい、怪談チックな発表内容となり、よかったなと思います。

 

2.発表形式:ハンドアウト、スライド、トーク

あらかじめハンドアウトを配布し、スライドで図を見せながら、しゃべるという形式をとりました。読み上げ原稿は用意していなかったため、トークの2〜3割はアドリブです。学部時代にファンク・セッションやっててよかった。

発表に先立ち、論文形式の下書きを作っていたため、ハンドアウトはこれをセルフでまとめたものです。自分の論文に対し、自分でレジュメ切るのは、なんとも奇妙な体験でした。

 

他の方の発表を見ていると、論文ハンドアウトを配布し、読み上げるという形式が多かったように思います。哲学系の発表においては主流のようですが、読み上げ形式を採らなかった理由は3つあります。

  1. 手元にあった論文下書きが長すぎた(約35,000字)。
  2. 個人的に、読み上げ形式の発表を聞くのはやや苦手。
  3. ライブ-ナラデハの発表にしたかった。

 

当初スライドは使わない予定でしたが、事前の検討会で「あったほうがよいだろう」とのアドバイスをいただきましたので、直前に用意しました。運営の方に無理を言って使わせていただいたものです。その節はありがとうございました。

とりわけ、Windsor 2019をアレンジして「不気味さ」を定義するくだりは、図のおかげでスムーズに展開できた気がします。

 

3.発表所感:資料配布、話し方、質疑

配布資料は、足りなかったときのためにデータファイルのQRコードをプリントして持っていきました。ところで、QRのプリントは二部置いていたのですが、いつのまにか一部なくなっていたため、配布資料と勘違いされ持っていかれたのかと思います。この点、あらかじめ「配布物ではありません」と記載し、ピクトグラムまでのせたナンバさん(@deinotaton)はまさに英断でした。負のアフォーダンス

 

学会発表は初めてでしたが、公の場でしゃべるイベントとしては、昨年の「vaporwave芸術大学」などで経験済みでした。また、昨年は聴衆として同フォーラムに参加していたため、なんとなくの雰囲気も把握していました。

人前でしゃべるときは基本的にテンション高めの早口なので、よく言えば明るくハキハキと、悪く言えばヘラヘラとした口調での発表になります。緊張感は、大学で講義の発表担当をするときとほとんど変わらなかった印象。

はじめ、プロジェクターが到着しておらず、スライドのウケポイントを逃しかけたのですが、諸兄の協力もあり、すぐに使えるようになりました。ありがとうございます。モモンガのくだり、パワポで説明できてよかったです。

 

質疑は、分析美学界隈の見知った諸兄が中心だったこともあり、こちらも気楽に対応できた印象です。そういえば学会後には、「質疑による攻撃と殺伐とした雰囲気」問題がTwitterで議論されていたようです。個人的な応答のメソッドとしては、

  • 問題なく答えられそうな質問に対しては、要点に絞って簡潔に答える。
  • 質問の意味がよく分からないものについては、適当に答える前に、「つまり◯◯というご指摘であってますか?」と聞き返してみる。
  • クリティカルに刺さってぐうの音も出ないような指摘に対しては、すかさず「おっしゃる通り」と認め、どこに刺さっているのかを再度口頭で確認したのち、「今後の課題」ということにする。*2
  • クリティカルに刺さったがぐうの音ぐらいは出せそうな指摘に対しては、「今の段階で、補足できることがあるとすれば」で軽くコメントを添えつつ、今後の展望を匂わせておく。

といったあたりを意識しています。いずれにしても人間と人間のやりとりに過ぎないので、必要以上に警戒したり、敵意むき出しで挑む必要はないだろう、というのが個人的な見解です。

難しいのは、「自分は本質的ではないと思っている問題について、相手が腑に落ちていない」ようなときだと思いますが、幸い今回は遭遇しなかったようです。

あと、昔だれかがやっていたのを見て、意識するようになったメソッドとしては、「質問している方から見て、正面の位置に移動する」というのがあります。「登壇者」という特権的な立場を捨てて、近い土俵に立つことで、心理的な距離を縮める、とでもいうのでしょうか。後は単純に、耳が遠いのといまいち声が張れないのを補うためです。

 

4.今後の展望というもの

発表の手応えとしては、「不気味さ」や「写真」概念がますます謎めいてくる、というのも含め、少なくとも議論のきっかけを提供できた気がします。トピックが高尚すぎず、いい意味で俗なため、誰もが考えてみたくなるような問題を扱っているという点は、自分の研究のセールスポイントだと思っています。

 

「不気味な写真の美学」について、今後深めて行きたいポイントとしては、

  • いくつかミスリーディングな用語を改める。
  • 痕跡説の議論がほんとうにうまくいっているのか再確認。とりわけ、写真と絵画の区別がしっかり効いているのか。
  • 後半で扱った脱文脈化・再文脈化の議論、ほとんど写真と関係なくなってないか、という点について再確認。
  • 議論全体のアクチュアリティについて考えてみる。とりわけ、デジタル時代における実践と相対的に捉えた時にもなりたつ議論なのか検討する。

といったあたりでしょうか。いずれも指摘いただいた皆さまに感謝申し上げます。

 

冒頭にあげたとおり、発表資料(ハンドアウト&スライド)はすでに公開していますが、現在下書きの論文については、近い内に仕上げてお披露目する予定です。

今後とも、研究者としての@obakewebをよろしくお願いいたします。

*1:ちなみに、分析写真論における「現象学的特権」の古典的文献であるWalton 1984については、以下に論文ノートをあげています。

*2:「ということにする」というより、事実「今後の課題」なのだから、これは"逃げ"なのではなく適切な表明なのです。