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インターネットと美学研究

『マイク・ケリー展』、偽りの記憶、あるいはイメージの再再現

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 外苑前のワタリウム美術館で開催中の『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン』。勢いあまって二周みてきたついでに、記念に(?)1本論文を読んだので、考えたことのメモなど。

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石谷治寛「アートとセラピーの書きかえられた記憶 - マイク・ケリー《エデュケーショナル・コンプレックス》と偽りの記憶症候群

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 マイク・ケリー(Mike Kelley)は1954年アメリカ生まれのアーティスト。70年代後半から、パフォーマンスやインスタレーション作品を中心に発表してきた。著名な仕事としては、ロック・バンドSonic Youthのアルバム『Dirty』のアートワーク。

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 本展示の中心となるのは、2005年発表のミクストメディアによる作品群「デイ・イズ・ダーン(Day is Done)」。

ケリーは高校のイヤーブックや地域の新聞からとった放課後の「課外活動」のモノクロ写真を基に物語を「再生」し、ダンスの原案や音楽、シナリオテキストなどすべてを自身で制作しました。(展覧会の公式HPより)

 作品はサンプリングされてきた70年代のヴァナキュラー写真と、俳優を使ってそれを”再現”したカラー写真によって構成される。

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(出典:http://www.watarium.co.jp/exhibition/1801mike/index.html)

 これに、キテレツな音楽を含む映像作品が加わり、複合的なインスタレーション作品となっている。おそらくは仮装パーティーのスナップ写真なのか、悪魔やバンパイアに扮した生徒たち。計31作品それぞれのタイトルに注目しても「#4 バンパイアのボス」から「#19 シャイな悪魔崇拝者」、「#32 偽マリアのホースダンス」まで、文化祭の悪ノリそのものである。エレベーターに乗って、会場に踏み込んだ瞬間、マインドファックしてくる「#2 トレインダンス」は必見。

 チャガチャガチャガー!フー!フー!

 この謎テンションが31個延々と続くという、地獄の展覧会。20分近くの長めの映像もあり、全部ちゃんと見るとなると3時間ぐらいかかるのではないか。

 さて、この作品の位置付けというのが非常に重要であり、まずは先立って1995年に作られた彫刻作品「教育複合施設(Educational Complex)」を見る必要がある。

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(出典:http://collection.whitney.org/object/10293)

 先に挙げた論文によると、「教育複合施設」でケリーは、幼少時代に過ごしたデトロイト周辺の風景を再現したとのこと。このような自伝的作品には、必然的にある種の制約が伴う。すなわち、「細部を思い出せない」というものだ。断片的で、やや理想化された記憶の複合的(complex)な集合体として作られた「教育複合施設」を、加えて補完しようとするものが「デイ・イズ・ダーン」である。「教育複合施設」には、「デイ・イズ・ダーン」の元となったヴァナキュラー写真、新聞の切り抜きが展示されている。「デイ・イズ・ダーン」は、これを元にした架空のミュージカル映画なのだ。

 こうして「デイ・イズ・ダーン」は、自伝的な試みとしての再現行為「教育複合施設」を諧謔的にスポイルし、「偽りの記憶」を作り出す。「抑圧された記憶症候群」というのが本作のテーマらしいが、なるほどそこには精神分析的なアプローチが見られる。

 やがて、こうした事態に関する心理学者の慎重な考察と反省のなかで、これまで知られていなかった記憶のメカニズムが実証実験によって明らかになっていった。セラピーの過程で、催眠療法の暗示が、忘却された記憶の空白に入り込み、偽の記憶がクライエントに植え付けられること、さらにその「虚偽記憶」は当人にとっては完全に忘却された「真実」の記憶として思い出されることである。ケリーが依拠するのは、こうした解離によって抑圧された記憶を回復しようとするときに生じる偽りの記憶症候群(False Memory Syndrome)と呼ばれる心的メカニズムである。(石谷,pp.129-130)

 こういった精神分析の成果を意識的に取り入れているあたり、理論的というか、学術肌なアーティストだったんだろうな。それはともかく、「デイ・イズ・ダーン」を紡ぎ出すのは、ケリーが意図的に作り出す「偽りの記憶」である。これは前世代にあたるポップ・アート・ムーブメントと比べても、極めて複雑なパロディ構造を形成している。

 第一に、サンプリングされるヴァナキュラー写真は”他人のもの”である。それは純粋にスナップとして撮影された個人写真であり、ひとまず芸術的意図は見られない。ただし、そこに写っているのはある種の表象行為に取り組むコスプレ集団である。「デイ・イズ・ダーン」はその上に重ねられた、いわば再再現なのだ。元のヴァナキュラー写真と、それをマネたカラー写真は、題材や構図といった点で”同じ”であるにも関わらず、両者の間にはとてつもない”距離”がある。要するにこれは、アニメキャラがいて、コスプレイヤーがいる、というありふれた再現行為から、「コスプレイヤーをもとにしたコスプレ」という狂気じみた再再現への飛躍なのだ。そしてこれを「偽り(だが”真実”)の記憶」として自分史のなかに組み込もうとするもんだからビビる。

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 デュシャンは便器を、ウォーホルはスープ缶を持ってきて、アートだと言いはった。「ありふれたものの変容」をベースとするアート・ムーブメントに「デイ・イズ・ダーン」を位置づけるならば、これはコピペのコピペによるレディメイド作品、といえるのではないか。おまけに、それはまるっきり偽物だ。これは単に過ぎ去った日々(Day is Gone)に対する再現なのではなく、表象行為(Day is Done)そのものをパロディ対象とした再再現なのである。カウンターカルチャーが既存のものではない”真の”真実を求めたのだとすれば、意図的に「偽りの記憶」を紡ぎ出す「デイ・イズ・ダーン」は、さらに上のメタ的次元からそれを揶揄する。真実の”真実性”に対する攻撃、と捉えるのはいくぶんやりすぎだろうか? だとしたら、ずいぶん意識の高いひねくれ屋だなぁ、と思いそろそろ疲れてくる。

 そういえば『Dirty』繋がりで、Sonic Youthが13歳のキッズから「お前らは下手クソ」という非難の手紙をもらった話を思い出した。アメリカのインディー・ロック界を牽引し、30年間せっせと「下手クソ」の表象をし続けているバンドに対し、「チューニングが合っていない」というのは、実に高度なジョークだ……(Sonic Youthのギターは、わざと変則的なチューニングをしている)。これもある意味で、もとの表象行為をシカトし、勝手に物語化している点で、マイク・ケリー的な言説なのではないか!? パロディの連鎖は止まらない。

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 とにかく、「マイク・ケリー展」はとても”楽しい”。わけの分からんイメージに満たされた会場は、不本意にも迷い込んだ宗教儀式そのものだ。カルトな芸術に興味のある方は是非。ワタリウム美術館にて3月31日まで。

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*ヴァナキュラー写真という”ジャンク品”を素材に使っているあたり、個人的にはデパートのエレベーター・ミュージックを素材につかうVaporwaveとの相似性を見てしまうが、これは単に趣味の話だからやめておこう。

**あまり関係ないけど、前に教えてもらったサイト「Don’t Call Me Oscar」では、映画のワンシーンをキッズたちで再現するという、ほほえましい試みをしている。歪んだ(!?)コスプレ遊びの一種として、あわせてお楽しみください笑