芸術終焉論について調べているついでに、ジャン・ボードリヤール「芸術の陰謀」を読み返した。
「芸術の陰謀」は1996年にパリの日刊紙『リベラシオン』に掲載された短い論考であり、後期ボードリヤールの有名な論考のひとつだ。原書の編集者注記によれば、「世界中で数多くの言語に翻訳され」「当時フランスでは、相当激烈な反応を引き起こした」そう。まぁ、ボードリヤールの書き物はだいたい激烈な反応を引き起こしているのだが。*1
最大限ラフにまとめるなら、「現代アートって、根っからしょーもないのに、『そうそう、ウチらってしょーもないんすよ😉!w』などと開き直り、無知な観客を混乱させ、一周回ってしょうもなくなさそうに見せてるあたり、マジでしょうもない😤」という具合だ。たいへん面白おかしいのは、ここでdisられている同時代(80〜90年代)の現代アートには、ボードリヤールの諸理論に影響されたネオ・ジオやシミュレーショニズムが該当しており、理論的支柱からいきなり刺される、という体を成している点だ。*2
本稿は、「芸術の陰謀」がなにを根拠に/なにを主張しているのかを整理しつつ、この議論の射程をゆるく考える。
- 80〜90年代の米国アートシーン
- 「芸術の陰謀」レジュメ
- 「芸術の陰謀」にどう反論するか
*1:傍目に見てもそれはひどいだろうという書評と、書評への批判は以下を参照。
*2:これは今回はじめて知ったことだが、アメリカの美術界においてボードリヤールを紹介したのは、1983年に出版された『Simulations』という小冊子らしい。『象徴交換と死』および『シミュラークルとシミュレーション』から、おいしいところをつまんできた160ページぐらいの冊子らしく、ことによると表面的な受容の一因になったのではないかと想像する。