レッド・ベルベットのホラー:怪物、人形、あるいは呪術と攪乱

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0.イントロ

「Red Velvet(レッド・ベルベット)」は、SMエンターテインメントより2014年にデビューしたガールズグループである。2019年現在のK-POPシーンにおいては、TWICEBLACKPINKと並び、すでに確たる地位を獲得したトップ・グループであると言えよう。

本稿は、以下3つの枠組みを用いて、「ホラー(horror)」の観点からRed Velvetを読み解く。

一つは、分析美学(Analytic Aesthetics)のホラー論であり、主にホラー映画を対象として議論されてきた分野である。主な論者としてはノエル・キャロル(Noel Carroll)ケンダル・ウォルトン(Kendall Waltonベリス・ゴート(Berys Gaut)アーロン・スマッツ(Aaron Smuts)らが挙げられ、トピックとしては「定義:ホラーとは何か」、「情動:喚起されるのは真正の恐怖か」、「快のパラドクス:なぜ恐怖を楽しめるのか」といった問題が扱われている*1。これらの先行研究をRed Velvetというテキストに接続する目論見としては、第一に「ホラー映画論」からより一般的な「ホラー論」への拡張が意図されており、第二に分析美学一般の批評的応用が意図されている。もちろん、いちアイドルグループであるRed Velvetの鑑賞を、より多角的にすることも意図されている。

第二に、こちらも分析美学寄りになるのだが、いわゆる「ペルソナ(persona)」および「キャラクター(character)」研究の視座を借りてみたい。アニメ論、マンガ論、バーチャルYouTuber論において近年盛んに研究されている当分野は、同様にアイドル論としても展開されている。実在するパーソンとしてのメンバーと、(いわば)演じられるペルソナ/キャラクターを分けて理解することで、Red Velvetのフィクショナルな側面をより精緻に観察してみたい。

第三に、ポストモダニズム的な批評の枠組みを、いくつかの論述において援用する。無論、このような枠組みを“使う”ことの是非については、ただちに苦言が寄せられるだろう。80年代はすでにはるか過去であり、あの出口のない思弁をいまさら再生産するつもりか、と。この種の指摘が的を射ているのは確かだが、一方で、まさにこの種の思弁が皮肉にも有効性(のようなもの)を取り戻しつつあるのが、今日的な思想のモードではないかと考える。本稿の試みとは独立した論点であるためこれ以上のコメントは控えるが、本稿において以上のような問題意識はひそかに影を落としている。

 

いくつかの主要な問いは、以下の通りである。

「なにゆえ、Red Velvetはホラーであると言えるのか」「Red Velvetがホラーであるとは、厳密にはどういうことなのか」

「いかにして、Red Velvetはホラーたりうるのか」「Red Velvetはいかにしてホラーを表象するのか」

 

第1章では議論の対象と基本的な用語を整理する。第2章では、「ホラー」の内実を探りつつ、ここにRed Velvetを位置づけたい。第3章ではより個別な批評へと移り、Red Velvetによるホラーの表象を分析していく。

  • 0.イントロ
  • 1.テクストとしてのRed Velvet
    • 1.1.K-POPファンはなにを消費しているのか
    • 1.2.Red Velvetメンバー
    • 1.3.用語の導入:パーソン、ペルソナ、キャラクター
  • 2.ホラーとはなにか
    • 2.1.ホラーの定義
    • 2.2.ハロウィーンと怪物
    • 2.3.凶器と暴力の痕跡 
    • 2.4.シミュレートされるホラー
  • 3.Red Velvetによるホラーの表象
    • 3.1.不気味な人形
    • 3.2.秘密とサスペンス
    • 3.3.呪術とオカルト 
    • 3.4.撹乱するキャラクター
  • 4.アウトロ

*1:本稿で主に扱うのは、ホラーの定義問題である。情動の問題とパラドクスの問題は、本稿にあまり関わらないので扱わない。

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レジュメ|ベンス・ナナイ「マクロとミクロ:アンドレアス・グルスキーの美学」

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アントワープ大学の売れっ子ブンセキ哲学者といえば、ベンス・ナナイ(Bence Nanay)。ホストっぽい見た目とは裏腹に、知覚・心の哲学から、美学、存在論倫理学まで、あちこちの分野で活躍する秀才です。

Nanay, Bence (2012). The Macro and the Micro. Journal of Aesthetics and Art Criticism 70 (1):91-100.

そんなナナイによるアンドレアス・グルスキー(Andreas Gursky)論。

 

グルスキーといえば、デカい+幾何学的+超高画質な作品で有名な写真家。いまでは、ドイツのみならず世界を代表するアーティストの一人です。

グルスキーの美学を解剖しつつ、それを描写の哲学における「二重性(twofoldness)」の議論に接続した一本。Journal of Aesthetics and Art Criticismの70巻1号「写真メディア特集」に収録されたものです。

  • 0.イントロダクション
  • 1.マクロな構造
  • 2.ミクロな構造
  • 3.マクロとミクロの関係
  • 3.二重性(twofoldness)
  • ✂ コメント
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発表「不気味な写真の美学」:若手哲学研究者フォーラム後記

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先日、はじめての学会発表をしてきました。

国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催された「哲学若手研究者フォーラム」の2日目(7月14日)。朝11:00からの発表です。

題目は「不気味な写真の美学」ということで、写真が喚起する「不気味さ(uncanny)」の情動について論じました。

せっかくなので、発表の概略や当日の所感などを、記事にまとめます。

 

また、発表で使用したハンドアウトとスライドのPDFは、researchmapにて公開しています。そちらもぜひご覧ください。

 

  • 1.「不気味な写真の美学」:内容概略
  • 2.発表形式:ハンドアウト、スライド、トーク
  • 3.発表所感:資料配布、話し方、質疑
  • 4.今後の展望というもの
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