写真論の研究ノート、第二弾。
今回は初心に返って、ケンダル・ウォルトンの「透明な画像」(1984)を読み直しました。
Walton, Kendall L. (1984). Transparent Pictures: On the Nature of Photographic Realism. Critical Inquiry 11 (2):246-277.
分析美学における写真論としては古典中の古典。論文としては2003年に山形大学の清塚邦彦さんが紹介されているが、翻訳はまだ出ていない。……誰かやりませんか?
本論文は「写真は透明である」と宣言し、予想される反論に対し応答しつつ、写真のメディウム・スペシフィシティを論じていくもの。
メディウム・スペシフィシティとは言っても、ウォルトンの議論はクレメント・グリーンバーグやロザリンド・クラウスらがやっていたような、いわゆる「モダニズム」「ポスト・モダニズム」に与するものではない。あくまでも日常的な直観によりそった、実践の分析を通して、写真というメディアのありかたについて語る。The「分析美学」といった感じで、このフィールドにおける議論の仕方についても、大変勉強になった。それから英語が易しい(重要)。
どんなもんか、見てみましょう。
- はじめに
- 1.写真的リアリズムについて
- 2.写真は透明である
- 3.「写真を通して見る」と「虚構的に見る」の区別
- 4.「透明性テーゼ」への反論と応答
- 5.反事実的な依存関係
- 6.自然的意味と非自然的意味
- 7.「写真的な構築物」の問題
- 8.知覚の構造と世界の構造におけるアナロジー
- 9.余談とまとめ
- 主要な反論の紹介
- ①「写真は絵画と同じで、透明ではない」
- ②「写真は透明だが、絵画も透明だ」
- コメント
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